【がんばれ】江古田計画を勝手に応援【学生】
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- 34 ) AZUKI
- [2003/06/11(水) 01:02]
- さて、アートについてもうひとつ。
近代アートといえばアンディ・ウォーホールなどが有名ですが、そのあたりから登場したものに「参加型アート」もしくは「鑑賞者が参加することによって生成され、変化していくアート」というような感じのジャンルがありませんでしたか?
浅学なものですから正式な呼称についての知識はないのですが、かつて師事していた先生の個展を拝見した折り、そうしたコンセプトの「アート」の展示
<省略> [全文]
- 33 ) AZUKI
- [2003/06/11(水) 00:49]
- catさんの業績(笑)について、補足したいと思います。
すでにご覧になっているものとは思いますが、念のため。
http://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/2835/ekoda/ekoda.html
それから、アートマーケットについて。
「江古田をアートの街として、江古田以外の人に認知させたい」というのが、アートマーケットを通じての江古田計画の「計画のひとつ」なのだろうと愚考します。
が。江古田ってアートな街ですか?
<省略> [全文]
- 32 ) AZUKI
- [2003/06/11(水) 00:33]
- 江古田計画がまずすべきことについて、外部から同時に「(地域としての)江古田に住んでいる人間」「江古田に関連したコンテンツを扱っている人間」という立場から考えてみたいと思います。
catさんは「客観的な事実として、江古田は美容院と接骨院の街である」と述べておられます。
これはcatさんのページをご覧頂ければおわかりになる通り、catさんの調査と分析に基づいて得られたフィールドワークの結果によるもので
<省略> [全文]
- 31 ) AZUKI
- [2003/06/11(水) 00:19]
- 僕は以前、江古田計画の第一世代の方々の説明から、「江古田計画」とは、江古田をどうにかする計画なのではなく【江古田計画】というブランド/CIを新造する計画なのだという印象を得ました。
つまり、「江古田ありき」ではなく、「江古田計画」というブランドの価値を高めるために、「江古田という学生街」を利用しよう、という考え方ですね。
最初のステッカー/シールや江古田計画袋はそういう意図があったことは明確と思
<省略> [全文]
- 30 ) AZUKI
- [2003/06/11(水) 00:09]
- もし、「サークル・江古田計画」が、商店街・自治会・行政・住民に金銭的な依存(協賛というのは寄付ですから)をせず、なおかつ協賛/協力が「許可を得る」以上の負担をかけないものであるなら、特にコメントすることはありません。
ですが、「学生が勝手にやって終わる計画」なら、「江古田の」という冠は外すべきでしょうね。
それこそ「そういう見方もあるね。がんばれ。僕はここで見てるから」です。
それが地元
<省略> [全文]
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管理者:AZUKI
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