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  【がんばれ】江古田計画を勝手に応援【学生】

211: 名前:cat投稿日:2003/09/30(火) 00:36

あらためてguretu-anさんのご意見を拝読していると、なんか寺山修司の「市街劇」みたいなものをお望みのような気がしてきて...。(^_^;
それはともかく、「江古田計画」側の擁護者ではなく、あらたな視点からの批判者ですよね、guretu-anさんは。

さて、肝心の「江古田計画」さんからの発言がないまま、勝手な言い分を続けたいと思います。

わたしは、江古田の商店会と学生との「産学協同プロジェクト」(大げさ!)というところに集約しちゃった方がいいのかとも考えています。

なまじ、住人と何とかがドータラという「まちづくり」を指向すると、めんどくさいことがいっぱいでてくる。むしろ、「商店会の活性化を3大学の学生がお手伝い」というかたちにした方が、住人や来街者との関係性や相互の位置づけも明確化され、何より方針が立てやすい。

実は、わたしには、「江古田計画」ってそういうところ(=商店会活性化)から立ち上がったものに見えてしかたがないんですね。 ← あくまで、わたしの印象です。

ところが、計画を進めていくうちに、活動目的が拡大化された。にもかかわらず、拡大化する/されたときに考えなければならない諸問題が、スタッフ内で充分に討議されたわけでもなく、スタッフ各人に理解されたふうでもない。

公式サイトの各ページを見ると、それがための焦点・方向性のブレのようなものが感じられます。「江古田」なのか「江古田の商店会」なのか。
確かに、いくつかのページは「α版」(というか旧版?)であることが明記されています。それは単に原稿作成が間にあわなかっただけなのでしょう。けれど、同時に、それは、計画内でのブレが内包されたままであることの証左でもあるわけです。 ← うがちすぎ?

「商店会活性化を通じてのまちづくり」という実績を、地道に積み上げていった先に、ここで論じられてきたような全体的なまちづくりが見えてくる。そんなステップでもいいんじゃないかなと思う次第です。

ちょっと、話の流れをそらせて申し訳ありません。

212: 名前:こばやし投稿日:2003/10/01(水) 23:01
>>211
新たな切り口ですね。
が、江古田計画の皆さんは相変わらずの放置なんですけど・・・。

213: 名前:cat投稿日:2003/10/02(木) 11:06

> こばやしさん

もう「腹も立」たなくなって、「敬して遠ざける」という話なのかも。(笑)

「江古田計画」さんが、いわゆる「まちづくり」という方向性をとるとおっしゃっている以上、意味のない提案/お節介であることは承知しているんです。
> 新しい切り口

214: 名前:guretu-an投稿日:2003/10/02(木) 15:03
>新たな切り口

その割りに細かく意見をつけてくる>こばやし氏
俺に恨みがあるのかと(笑

寺山はあまり読んでないのですが、あのアングラでチープな感じは
ハマると恐いと思う>cat氏
高校生の日に女湯覗きをいたしました。反省してます。

どうも江古田計画に対しての物足りなさは、実は「まちづくり」と
いうお手軽な言葉に収斂しているという事に対してのようだと
暫くモヤモヤ気持ちが悪かったのだが、そう思い当たった。

215: 名前:guretu-an投稿日:2003/10/02(木) 17:31
ちょいとまた運営とは別の話で恐縮ですが、アートというものは
思い切り個人的なもので情念的な作業で、それの深みという
のはいかに高みに至るかという事と、いかに自身の不浄な部分
を自己批判或いは真逆の全肯定出来るか、という事が同時に
起きる不可思議な作業であると思っている訳ですが、まちづくり
という耳障りの良い言葉にはプラスの健康的な一面をのみ
イメージさせられる訳です。

アートマーケットが祭りかどうかという話も明確ではありませんが
非日常という部分では多くを共有している訳です。
祭りもまた健康的な開放感と同様に人間のドロドロした部分など
を表ざたにしても許容される、というか、祭りの持つ得体の知れぬ
高揚感などは思い切り不浄な部分があからさまにされるやも
知れぬワクワクドキドキ感なのだと思う。
正と負、天国と地獄、清浄と不浄の乱雑なオンパレードが
その正体ではないのかとすら思う。
サンバカーニバルや仮面で有名な、名前忘れたカーニバルなどを
見てその熱気は何かと思えば、そういう気がするのですね。
私は何を言いたいんでしょうね。

216: 名前:こばやし投稿日:2003/10/02(木) 19:06
別に、guretu-anさんの意見を指して「新しい切り口」と言っている訳ではない。
catさんのアプローチを指している言葉なのよね。
残念でございますた(藁)

217: 名前:guretu−an投稿日:2003/10/02(木) 21:08
(´TAT`) そりゃ大層失礼 >こばやし氏

つまり奇麗事を標榜しなければ、商店街の方の理解は得られない
所に江古田計画のジレンマが存在すると。
本当は「私たちはただ主体的に江古田を楽しみたいんだ」と言うのが
多分彼らの本音であり、「そうする事でもしかしたら街づくりに関与
出来うるかもしれん」くらいの非常に曖昧な想定をあたかも
それが目標だとでもいうように掲げてしまった所がまず
マヅかったのではないか。

218: 名前:AZUKI投稿日:2003/10/04(土) 07:48
こばやしさんも、guretu-anさんも、ここはひとつ、ま、ま(^^;)

江古田計画のそもそもの目的は「江古田で遊びたい」ということだったと思いますよ。
ただ、「どこでもいいから遊びたい」だったら、ただのサークル活動で済んでいたところが、
「江古田で」と場所を限定させてしまった瞬間から、「物理的な場所」としての地域や、
その地域を実際に取り仕切って(笑)いる既存の組織(町会、商会)との折衝の必要が生まれてきた、と。

そして、「まちづくり」という言葉は、おそらく江古田計画に深く関わっている商工会議所の方や、
コンサル会社の方からのアドバイスの結果なのでは、とも推測しています。
「日常的に江古田という街を維持運営しているのは商店会なのだから、江古田という場所で
何かをしたいなら商店会との関係を良好にすべし」というのは、イベント開催という視点から見れば正論ですし。

あと、これも個人的感想なんですが、「江古田で遊びたい」が「アートマーケット」という形を選んだ
のだとすると、「芸術を小売りするフリマ」という位置づけのアートマーケットは、ちょっと安易だったんじゃないかな、とも思いますね。
どうしても「露店に店を広げる」「恒常的な開催ではなく、スポット的な開催」という形にならざるを得ない気がするし、
ゆうゆうロード(栄町本通商店会)のナイトバザールや、江古田銀座(旭丘銀座商店会)の納涼祭、三大学の学祭と「それはいったいどう違うわけ?」という差別化が不十分だし。

「江古田の縁日をもうひとつ増やしました」という以上でも以下でもない気がするんですよ。

219: 名前:AZUKI投稿日:2003/10/04(土) 07:59
僕の場合は「イベントを開催し、それによってまちづくりを」となった時点で、彼らが「本来したいのであろうコト」以上に「運営」のほうに目がいってしまうんですよねー。
それはたぶん、「イベント」が「客を呼ぶことで成立する」という性質のもので、僕などは「客の側の人間」だからなのかもな、とも。
江古田計画も、商会も「呼ばれる客側」ではなく「客を呼ぶ主催者側」の視点に成らざるを得ない。
このスレの人々は、基本的には「呼ぶ側」より「呼ばれる側」の視点で発言されてますし。
そのへんの意識の違いが、また対立しているように見えてしまうのかもしれません。

いっそ、「江古田の遊び方を研究する」っていう言い方にしちゃえば、もう少し違った展開があったかもなー、とも思いますねー。
「江古田計画が、江古田の遊び方、江古田の楽しみ方を研究、実践して発表する」
「その遊び方を提示することで、お客が【江古田でしかできない遊びをしに、江古田にまでくる】ことを商会に提示する」
とか。
これなら、「江古田で遊びたい」も果たせるだろうし、商会との利点共有も可能だったろうし。
加えて、「江古田計画のスタイル」というブランド性の提示ができ、「お客」に対するアプローチも、ただの「金を落としに来る相手」ではなく、「江古田計画流を紹介する相手」であったり、
「遊び方を伝授する相手」だったり、と違ったアプローチにもなったんじゃないかなぁ、と。

芸術は、情念を持って作った芸術家が、作品の形にはきだした時点で終わるもの(誰かが見なくても成立する、パーソナルなもの)と、
「観客との合体」や「観客の参加」で成立するもの(誰かが見ることで成立する、パブリックなもの)があるんじゃないかと思うんですが、
「江古田計画」という集団が、「江古田」という場所で、「不特定多数へのアプローチ」を前提に行うんなら、
芸術のタイプは前者のパーソナル・アートではなく、後者のパブリック・アートでなければ【間違い】だったんじゃないかな、と。

それ以上に気にかかることは、現在の江古田計画のリーダーは「武蔵大学」の学生さんだったと思うわけですが(笑)、
もしかして「アート」マーケットを主張したのは、元々は日芸の学生さんだったのでは? アートに対するスタンスが、どうもズレている気がするのはそのへんが原因なんでしょうか(^^;)
「アート」を、表現方法として見ているのか、「まちづくり」の名目として見ているのかは、聞いてみないとわかりませんけどね(^^;)

220: 名前:AZUKI投稿日:2003/10/04(土) 08:27
NPOへの志向は、いったいどっから出てきた話なのかというのを、ちと想像で。
当初の江古田計画(CIとして江古田袋を配ったりしていた頃)は、まだそれほど「まちづくり」には重点が置かれてなかった気がします。
でも、「学外での活動」「地元との協力」という必要から、「まちづくり」的な要素が付加されたかなぁ、と。

また、江古田計画ホームページのリンクを辿ると、「学生によるまちづくり」を志向している他の街・組織の紹介にたどり着きますが、
それらもまた「商工会議所」が介在している風があります。
何世代目からかはわかりませんが、確か江古田計画は他の街の「まちづくり」を志向するグループ/市民運動の全国大会みたいなの(名前は失念しました)にも参加してましたよね。
広島かどこかの。
そうすると、もしかして将来的には「(何らかの政治目的を持った)市民運動」的な方向に進む目的があって、「学生の」や「アートの」というのは、そこに至るための便宜上の名目なのかなぁ、とあらぬ深読みをしてしまいました。
NPO法人格というのが出てきたあたりから、「なんでかなー」と思ってたので。

なお、くれぐれも、これはあくまで「転がっている材料からの勝手な推測」ということでご笑覧くださいm(__)m

221: 名前:こばやし投稿日:2003/10/04(土) 08:54
>>217
> 「私たちはただ主体的に江古田を楽しみたいんだ」
> 「そうする事でもしかしたら街づくりに関与出来うるかもしれん」

この推論は、イイ線いってると思います。
「遊び」、「まちづくり」、「アート」と言う語は、広範にわたる意味を持っています。
それを曖昧なまま用いる事で、様々なズレが生じますね。
言葉の用法だけでなく、実際の江古田計画の活動においても、曖昧さが垣間見られます。

江古田計画は、ここまでツッコミが入るのだろうか?
てか、ベタなまでにツッコミの余地があると言うのも・・・。
で、何の反論・説明がないのもアレだな(苦笑)

222: 名前:AZUKI投稿日:2003/10/04(土) 11:06
自己レスと訂正と補足と昔の記憶とかを。
http://ekodakeikaku.com/105.html [source] [check]

江古田計画の「2001〜2002年の活動」を見ると、発足の初期段階から
>練馬区消費生活懇談会にて、学生と商店街との協力について議論が行われる。
> 「江古田計画」発足。初期メンバーは約10人。日芸の影山二郎が代表。
とありました。
つまり、江古田計画は最初から「アート」が主ではなく「まちづくり」が主で、「アート」は従だった、ということでしょうか。
第1期代表、第2期代表はそれぞれ日芸の学生さん。
現在の第3期代表は武蔵大学の学生さん。
「アート」という性格付けにこだわったのは、第1〜2期代表さんの時代ということのようです。

この第1期の時代の「江古田袋」を巡る初期の不手際が、江古田計画への「じんわりとした不審」の源なのかも。
江古田袋の主目的は「江古田計画の認知度を上げるための活動」だったという説明を記憶から掘り返してみる。
江古田袋の(特に同梱のマップの)出来について、「日芸の学生が絡んでいてこの程度?」という声があった記憶もあるなぁ。
このときは、「駅前で配ったとして、持ち歩く時間/期間が短期しかない江古田袋では、認知度を高める(=持ち歩かれる)のに本当に役立っているかどうか不明」という感想を言った気がする。そういう「ロゴ入り袋の宣伝効果」は、「店から駅まで、駅から家までが長い場合」ではないのか、みたいな。
それはそれで何事にも最初はあるので仕方がないとして……

「アート」はやはり「まちづくりのための名目」なのかな? という疑いはますます濃くなってきました。
だとするなら、ますます「まちづくり」の点に対する疑問が軽視できなくなってくる気もしました。

223: 名前:guretu-an投稿日:2003/10/04(土) 16:11
江古田計画に提案。

「江古田ウォーク」の開催。
事前に「江古田!町内会」サイトで江古田の名所・旧跡
だの面白そうな所を十全に絞込み、練り歩くコースを
設定する。
「江古田ウォーク」開催参加者募集ビラを用意し、賛同の
一般家屋や商店の目立つところに貼って呼びかける。
参加費は弁当飲み物代・ビラチラシ代の人数割り。
参加者は当日申し込みではなく事前に申し込み制とする。
参加者に手渡すウォークコースのチラシ・パンフの用意をする。
江古田の町の重箱の隅をつつくような練り歩きを実行する。
が昼飯を挟んだ際の用意だが、昼からのウォークとするなら、
シメに浅間湯か江古田湯で汗を流す。
その後の(例えば三大学の許可を得て)学内にビニールシート
で軽い宴で〆るもまたよろしい。

224: 名前:cat投稿日:2003/10/04(土) 16:15

> AZUKI さん

> への「じんわりとした不審」の源なのかも。

この部分、できれば「AZUKIの〜」としていただきたかったところです。
たしかに「あれっ? これドーヨ」っていう意味ですけれど、一般的には、
「不審船」とか「不審火」とか、ニュアンスがナニですよね。
このスレの流れだと、「江古田計画vsオトナ」とくくられがちなわけです
が、よしAZUKIさんが個人的にそうお思いでも、わたしはそこまでじゃな
いんで。>八方美人(^_^;

...っていうか、わざと挑発してません? (苦笑)

225: 名前:cat投稿日:2003/10/04(土) 16:15

> こばやしさん&AZUKIさん

>>211で「『江古田計画』ってそういうところ(=商店会活性化)から立ち
上がったもの」というイメージあると書いたわけですが、それには、いく
つか根拠がありました。

ひとつは、「勝手に応援サイト」に転載されていた(最初期)趣意書の、
「3大学学生と江古田商店街とで協力し」という部分。
http://www.ekoda.org/w-1.html [source] [check]
もうひとつが、>>222でのリンク先です。

さらに、後者を読んだとき、「あぁ、こことつながるのね」と納得できた
のが、下記のリンク先です。
http://homepage2.nifty.com/nerima/h12/11.htm [source] [check]

「江古田計画」のことを知らない時期に見つけてブックマークしてあった
ものなんですが、おかげさまで「自信が確信に変わりました」。(笑)

そして...

>>218
> コンサル会社の方からのアドバイスの結果なのでは、とも推測しています

>>220
> 何世代目からかはわかりませんが、確か江古田計画は他の街の「まちづく
> り」を志向するグループ/市民運動の全国大会みたいなの(名前は

後者の記述は正確ではありませんが、参加されていたのは事実です。
http://www.google.co.jp/search?q=cache:pPH-iZm-X1oJ:comm.r1.shudo-u.ac.jp/~kawana/sympo03.doc+%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%A8%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja [source] [check]

ご覧になればわかるように、「基調講演」は件の「消費者懇談会」を委託さ
れていたリサーチ会社の社長さんです。
なお、第5回のアートマーケットの記録は、同社のサイト上にあります。また、
同社のサイトのホームページには、先の「アートマーケットを応援する」旨
のメッセージが記してありました。(終了にともない、現在は削除。)

「江古田計画」さんと、どのくらいの関わりがあるかは存じませんが、初めか
ら現在に至るまで、同社とのつながりは維持されているわけです。

お断りしておきますが、わたしは、そのことを悪いことだとは思っておりません
し、むしろ、積極的にアドバイスを受ければいいとも考えています。

ただ、ここで皆さんがご指摘されたことについても、もう少し耳を傾けていただ
ければなぁと思います。> 江古田計画さん

226: 名前:cat投稿日:2003/10/04(土) 16:17

> guretu-anさん

お弁当は、「やぐら」のオニギリでぜひ。(笑)

227: 名前:cat投稿日:2003/10/04(土) 17:32

連続で申し訳ありません。>>224のわたしの書き込みは誤読
でした。

> この第1期の時代の「江古田袋」を巡る初期の不手際が、
> 江古田計画への「じんわりとした不審」の源なのかも。

これって、「勝手に応援」サイトのBBSに寄せられた、賛助金を
出されたお店の方からの反応のことですね。
大変失礼いたしました。 > AZUKIさん

228: 名前:guretu-an投稿日:2003/10/13(月) 17:19
祭りは本来は神事として日常から非日常への切り替えが否応なく
「違う世界」への踏み込みとして出来たものだったのだろうが、
現在ではどうやって日常と非日常とのチャンネルを切り替えるかと
いうのが、所謂イベントが成功するか或いは中途半端なままで
終わるかという所の最も重要なポイントではないかと私は考える。
であればこそそのチャンネルをある馬鹿げたものや普通では
考えられぬ事をやらなければならないという主張に結びついて
いるのです。

と話題がないので持論を無意味に概要化してみる。

229: 名前:guretu-an投稿日:2003/10/13(月) 18:38
どうも目的論と手法論と混在していて、つーより私の
頭がついていかないだけなのだが(,笑)
いやそもそも目的など持つなと私は言い始めたのでは
なかったか。
いっその事、江古田銀座での朝市(当然練馬の野菜など)
などやれば・・・競合店はスーパーくらい? 北口マーケット
内に八百屋さんも軒数があるのか、あれば反発は必至
だが。朝市となると祭り的な要素・レベルはかなり
低くなり、超えるのは超え易い。

230: 名前:AZUKI投稿日:2003/10/13(月) 23:11
>>228
えー、祭りというモノが伴う「狂気」であるとか「バカになれ」であるとかについては、一応理解はできるのです。

ただ、それっていうのは厳密には「祭りではバカになってください」と促された参加者がバカになるのであって、祭りの主催者や祭りを「進行」するものがバカや狂気に走っては、祭りが進行しません(^^;)
で、江古田計画の立場は、「祭りでバカをやる立場」ではなくて、「バカをさせる」または「バカをしても大丈夫なように取り計らう」立場であると思うわけです。
取り計らう立場の人は、バカになったり狂気になったりしちゃいかんのでは、ということで(^^;)

祭り論と「祭り運営論」は別物ということでしょうか。

231: 名前:名無しのエコダニアン投稿日:2003/10/14(火) 13:39
>>AZUKIさま
無限ループしている馬鹿者に律儀なレスありがとうございます。
ほぼ嫌になりながら書いてんだろうなあと、不謹慎な笑いを
浮かべつつ読ませていただきました。

この前新聞で浅草のサンバカーニバルを起こした所以の区長の
記事を読んだのですが、当初リオにカーニバルがどういうもんか
区長と関係者と連れ立って見に行ったのだそうです。
当然その騒然としたカーニバルの様に圧倒され、所詮日本で
こういう祭りは無理だろう、と関係者全員がそう思ったそうなの
ですが、中でただ一人区長だけはこれは是非浅草でやりたいと
そう思ったのだそうです。
これはコンセンサスとか何とか考えていたら全く実現しなかった
でしょう。いわば区長の他人から見ればほぼ「狂気」が成しえた
いや、狂気でなければ浅草には今もサンバカーニバルは
開かれていないでしょう。

運営が不要というのではないのです。
祭りというものははかりごとからどこかで自立的な生き物のように
なる、そういうものではないかと思うのですね。

232: 名前:guretu-エコダニアン投稿日:2003/10/14(火) 13:47
浅草と三社祭、リオのカーニバル、これはただ「祭り」という一点のみ
のつながりしかないのですよ。というかそこに強靭な一点のつながりが
あるというべきか。ともかく普通では一緒には考えないものです。
それがあそこまでメジャーなものに育っていった。

何が言いたいかと言いますと、江古田とアートというのではあまりに
安易なつながりを前提にしてはいないかと。
まあ浅草の区長のような狂人(笑)がいないというのが最も痛いと。

233: 名前:AZUKI投稿日:2003/10/14(火) 15:54
>>>231-232
船で言えば推進力、車で言えばエンジンに相当する人っていうことですね。
それはわかります。
そういう「熱意」を持っているのが誰なのかは、外からでは図りようがないのですが……

問題は、立派な車体や船殻を持っているのに、エンジンが付いていないのか、
車体や船体のエクステリアの装飾と客を乗せるための予約にばかり頭が向いていて、船の中身が付いてきていないのか
それとも、「立派なエンジン」はあっても、操舵室が付いてないのか。

狂気のような「先覚者」が必要だったとしても、やっぱりそれを支えた助役以下の「実務スタッフ」が正気だったからこそ、成立したものだと思いますよ(^^;)>サンバカーニバル

確かに、「御輿の担ぎ手はいるけど、御輿がない」「御輿に乗る人がいない」「御輿の中はからっぽ」という印象はあるかもしれませんね。

234: 名前:AZUKI投稿日:2003/10/14(火) 15:58
>>231
その区長の「狂気(のように見える情熱)」があったとして、それでも「やろう」と決めた後の区長自身と関係者のコンセンサス、関係者から街そのものへのコンセンサスが置き去りにならなかったからこそ成功した部分はあるのでは。
狂気は必要条件のひとつだと思いますが、それだけで十分な条件というわけではなく。

>>232
「江古田でアートは安易」これについては、同意です。
それがいかんとは言わないけど、需要がないなら掘り起こす、という覚悟がないんなら、アートを引き合いに出すのは安易すぎるかなー、と思ってました。
(日芸と音大がある江古田なんだから、掘り起こさなくてもアートに対する需要/許容はあるはず、という前提でアートを選んだのだとしたら、ちょっと短絡的かつ安易すぎるかなとも思いますし)

235: 名前:cat投稿日:2003/10/14(火) 18:14

>>229

> いっその事、江古田銀座での朝市(当然練馬の野菜など)

いっそのこと、「江古田合戦」と称して、中野区江古田/江原町(本村)軍と江古田駅周辺(新田)軍にわかれて、北江古田公園あたりで騎馬戦とか。
「本村の誇りをみせてやる〜」とか、「今や栄えているのはこっちだぜ〜」とか叫びながら、流血の惨事!

レフェリーは豊玉の方にやっていただくとかね。豊玉も練馬か中野かよくわかんないところなんで、ちょうどいいかも。

ちょっと狂ってみました。(^_^;

236: 名前:トウリスガリ投稿日:2003/10/14(火) 18:34
江古田でアートが安易、で何がいけないのかなー?
安易って、つまり、江古田をよく知らない人にとっては分かりやすいんじゃないのかな
?テレビとか雑誌でもアートって言葉で江古田を良く見かけるし。
少なくとトウリスガリの私には安易でも分かり易いテーマや名目の方がいいです。
「江古田?どこよ?」
「ほら、日芸のあるとこじゃない?」
「あー、あそこね・・・。」
こんなもんでしょ江古田なんて。例えるなら。
浅草でリオのカーニバルの方が意味が分かりずらいんじゃない?
結果的には大きくなってるからいいものの。
じゃー、なんで、浅草でリオのカーニバル?
全く、地域の独自性がないよ。
浅草じゃなくても出来るじゃん。
高円寺の阿波踊りもそうだけどね。なんで高円寺で阿波踊り?
ここの発言にある、江古田=美容室の多い町である。
こんな所を他者に売り込んでも面白くもなんともないんじゃないの?
美容室関係業者が営業に来るくらいで。
管理人さん失礼しました。削除して頂いても結構です。

237: 名前:AZUKI投稿日:2003/10/14(火) 19:02
>>236
削除はしません。
それもまた意見のひとつとして残していきます。

といったところで、「江古田でアートが安易」と思う理由について、僕の感想。

「江古田と言えば、日芸があって音大がある。アートの町だよね」
という、そういう認識を持たれている(かどうかはわかりませんが)ことそのものは、それはそれでよいだろうと思います。
ただ、それにそのまま乗っかって、「江古田といえばアートです」というイベントを組んだとして、それは江古田にとってどういう効果があるのか? が、十分に説明できていない(&、当事者も消化できていないのでは?)という点が【安易】だな、と思うわけです。
(ましてや、今の第三期の代表は武蔵大の学生さんであって、三大学の中では学校の方向性・素養としてはアートとは無関係です。また、人文系で市民運動にも理解のある武蔵大系の学生さんが、アートにこだわる根拠もよくわかりません。初代代表は日芸系だったと思いますが、そこからの伝統だからということだとすると、第三世代の人々はどれほど初代のコンセプトを継承できているのか?が気にかかるところです)

で、ここまでに何度か述べたと思いますが、アート=芸術には、「表現者が作品を作り出した段階で完成するもの」と、「観客が見る(参加する)ことによって完成するもの」というものがあるのでは、と思います。
もし、江古田計画が「芸術を志向し、自分たちの欲求をはき出す」というところに主眼を置いているなら、「作品を作った段階で完成するアート」ということになりますね。つまり、【誰も見ていなくても、評価されなくても、かまわないもの】ということになります。

ですが、江古田計画が志向しているのは「地域」と「住民」を巻き込み、かつ「地域を外に向けてアピールする」ですよね。
そこにテーマとして「アート」を持ち込むなら、「勝手に作りました。誰も見なくてもいいです」ではなり立たず、「地域・住民ないし地域の外」に対して参加を促すものにならなければ無意味ですよね。

では、「参加型のアート」「独自性」が出せているか?というと。
「実質、出せてない」と思います。
要因は様々ですが、安易に「アート」を選んでしまったところにも問題があるのでは?と思えるのです。
「理解されなくてもアートだから(仕方がない)」という逃げ道を作っているようにも見えるし、理解できないほうが悪いという逃げ道も垣間見える。

僕は浅草サンバカーニバルや高円寺阿波踊り、(あとは河内音頭でしょうか(^^;))については特にコメントする立場にありませんので、同意も反対もしませんが、江古田計画は「何がしたいの?」というところに、一度立ち戻った方がいいのでは、とは常々思います。

238: 名前:トウリスガリ投稿日:2003/10/14(火) 20:12
あ、江古田計画さんってなんかのアート集団だったんだ?
江古田計画さんの関係者の過去に発言を見る限りじゃ、
私はてっきり、イベントや、企画のオーガナイザー団体だと思うけどな。
↑の方はどこの発言から江古田さんがアートをつくる側であると思ってるのかな?
いや、過去の関係者発言にあるなら御免なさいね。見落としちゃって。
あと江古田がアートのイメージで捉えられてるか?ってあるけど、
正直捉えられてるでしょう。100パーセントじゃないにせよね。
で、浅草の話はどうなんですか?もしかしてレス違いか?

239: 名前:guretu−an投稿日:2003/10/14(火) 20:46
アートで炸裂しているかというと、残念ながら非常に未消化な印象なん
だよね。そこに不満がある訳です。それで所謂世間的な成功例として
まあ出してみただけなんだけどね。
私は特段浅草サンバカーニバルのファンではありませんが、あそこで
成功しているにはそれなりの理由はあると思う。
古い町が非活性化した鬱屈が積もり積もってああいう盛り上がりに
なっているのだと思う。要は区長はともかくも熱を地元に注入したかった
訳なのだと思う。それの良し悪しには言及しようとは思わないが、
江古田計画にそうした熱(のようなもの)が足りないか、或いは
上滑りしている印象なのは何故なのかという事で、私の発言は
成り立っているのですね。
それは祭りがある目的付けやあるべき形が果たして必要かどうか
という私の疑問がありまして、むしろ意味づけや何かが最初にありき
では祭りの純粋なパワーを壊しているのではあるまいかという意見に
つながり、祭りイコールアートっていうのもなんかナーつー意見にもなり、
地域性がないというのはおっしゃる通りなんだけれども、それでも
何らつながりのない浅草とカーニバルが何故にあれほどに盛り上がった
のか、それは純粋な祭りの熱への渇望だったのではないかと
思われたので、丁度私には都合のいい代物だったのです。
俺も必死だな。

240: 名前:guretu−an投稿日:2003/10/14(火) 20:59
江古田=アートのイメージに寄りかかっているように思えた。
それが安直に思えた。
むしろ違うだろう。ヒリヒリするような熱いものは、もの狂おしい
ようなワクワクドキドキするものを得る為には、手元にある
それではなく何か他に、こちらの脳漿が不全になるような、
意外性のあるものこそふさわしい。
そういう感じ、なんだな。


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