act.3-1;マレビト


 春が近づいたその日、森は雨に濡れていた。
 根戸宏が原始人のような姿をし文明から離れて暮らしているように思われる一群の者たちの集落にきて、すでにどのくらいの時間が過ぎたのか、時を刻み暦を手繰る術を失って久しい彼自身には知る由もなかった。まだほんの数日しか過ぎていないようにも思えるし、もうずいぶんとたつような気もする。
 一度はこの集落からの脱走を図ったものの、鋭い尾爪を持ち4つの鼻で移動する獣に襲われた根戸は再び彼らによって救われ、集落に連れ戻されたのである。

 彼ら「21号埋立地の原住民」たちは、根戸を「マレビト」と呼び、地面を掘り下げた上に柱を建て屋根らしきものを葺いた小さな薄暗い「家」を与えて、根戸を客分として迎え入れた。
 しかし、根戸にとっては自分が客としての歓待を受けているとはとても思えなかった。根戸の住処を訪ねる者はなく、友好の印として住処を与えられたというより、幽閉されているようなものだ。

「うー……暇だ。暇だ暇だ暇だったら暇だ!」

 根戸はさすがに暇を持て余していた。

「ここには事件はないのか! 汚職とか猟奇殺人とかテロリズムとか武器密売とか、そーいう血湧き肉躍る事件はないのかあああっ!!」

 あまりそういう事件はないようだった。それだけではない。ここにはWANへ接続する端末はなく、暇を潰すための本もTVもラジオもなく、映画もビデオもBSもなく、電話もヴィジホンもなく話相手さえいない。
 これまでの根戸の日常は、取材と会議と解説と演説と説得によって成り立ってきた。誰かから話のネタを拾い、256倍くらいに増幅して他の誰かに吹聴する毎日……それが根戸というジャーナリストの日常(といったら大いなる語弊があるかもしれない(^_^;))なのである。
 獣に襲われた傷のため衰弱しきっていたため沈黙を守ってきた根戸だが、ここ数日寝て過ごしたおかげか、やっと喋りまくるための体力が回復してきた。
 が、取材すべき相手が根戸を相手にしてくれないため、返ってストレスは増すばかりである。彼ら21号の原住民が、日本語を解する日本人であることは確かのようだが、誰一人として根戸と会話をかわそうという者はなかった。

「暇だ!」

「どうするつもり?」

 火渡貴子は天野いずみに手製の槍を突きつけた。天野は貴子を振り返りもせず、硝子の小片を打ち欠いている。
 石器の材料としては黒曜石が有名だが、黒曜石だけが石器に向いているわけではない。福島で出土した石器の中には、水晶で作られた半透明の石器もあった。ようは、ある程度加工しやすく同時に丈夫であれば、どんな材料からも石器を作ることができる。
 天然の鉱石が産出することがありえない21号埋立地で暮らす彼ら原住民たちが、石器の材料としているのは埋め立てに使われた廃棄物や漂着物として手にはいる「硝子」だった。酒や清涼飲料などの空き瓶は加工しやすく、そして鋭い。
 実験考古学を目指す原始技術研(磐田研)から分かれた彼ら原始力研・火渡派は、こういった廃材を材料として加工し、21号埋立地に「原始人」として住み着いていた。
 火渡貴子は、天野いずみの手から、完成したばかりの鏃を払い落とした。

「どういうつもり?」

「……あの男のことか?」

 天野は細面の顔を上げた。焚火の中で揺れる炎に照らされた口元に軽い笑みが浮かぶ。

「私達はなんのために磐田研を去り、おんごろにきたと思っているの」

「磐田研のように原始文明の上辺をなぞるだけでなく……原始の……縄文の文化を体得し、縄文の精神を知るため、だろう」

「そう。農業工学科の作った牧場で暮らすのではなく、より純粋に原始の力だけを引き出せるステージを求めておんごろに下った、のよ。
 現代文明に邪魔されることなく思う存分に原始の力を確かめる場所があると、よりピュアに、よりプリミティヴに求めるものを追うことができる場所があると言ったのはあなただわ。おんごろに初めてきたとき、あなたの言葉の正しさも痛感した。
 だのに、なぜ? なぜ、あの男をムラにとどめるの。現代文明にまみれた男をいつまでもムラにおいておく必要はどこにあるの!?」

 貴子はつかみかからんばかりの勢いで天野に詰めよった。

「このままいつまでもあの男をムラにおくべきではない。あの男はせっかく縄文の空気に慣れつつある我々を、2019年に引き戻そうとするわ。今さら、俗事に耳汚してふりだしに戻りたくはないのよ。
 今はまだいい。だけど、いずれあの男の言葉に耳を傾け里心を出す者が出る。現代文明に毒された男の言葉に躍らされ、我々が目指すべき道を見失う者が出てからでは遅いのよ」

「貴子……君のいわんとすることはわかる。磐田研を去り、21号におんごろを……縄文人の文化を復活させるための聖地を作ることを君に勧めたのは、他ならぬ僕なのだからな」

「そこまでわかっているなら、なぜ!」

「まぁ、聞け。我々は縄文人の精神文化を体得するべく、この地に根を下ろした。これは日本人のもっとも根元的な精神を知る旅でもある。我々には一万数千年に及ぶ長きに渡る文化を築いた人々の心を再現し現代に伝える、高貴な目的がある」

 天野はひとつひとつ噛みしめるように、ゆっくりと言葉を重ねた。

「狩や土器作り、石器作りなど……生活様式の模倣はすでに行なってきた。それは磐田研もやっていることだ。実際に作った道具だけで生活をすること……これは今もって続けている」

 21号埋立地……彼らが「おんごろ」と呼びならわすこの島は、人間が暮らしていくのに必要な日々の糧を得ることが十分にできた。南洋の密林のような森は夜も昼も森の中の熱や湿度を逃がさず、バナナやタロイモ、パンノキなど食用になる樹々が実をつけていた。そればかりか、野生化した犬や猫などの動物や湿地に餌を求める水鳥が少なくないため、動物蛋白源を得ることもできた。
 おんごろは、採集狩猟民の生活を学術的に再現するだけでなく、実際の生活として自給自足していくことができた。

「だが、縄文人の日常生活を真似るだけではだめだ。これまで我々がしてきたのは縄文人の日常生活……ケの時間を再現してきたにすぎない。文化はケの中にだけあるものではない。むしろ、ハレの中にあると思う。ハレの……祝祭の中にこそ、目指すものが眠っている」

「舞や祝詞を捧げることを祝祭というのならば毎日している」

「形式的な日常的祭祀など問題外だ。そろそろ我々は縄文人の祝祭……ハレの時間に行なわれるべきことがらを再現するときに近づいている。マレビトをムラに迎え、ハレの儀式を執り行うべきだ。
 そのために、あの男が必要だ」

 古来、マレビトを迎える儀式は少なくない。山に閉ざされた地方では、集落を訪ねる旅人は客であり、異人であり、神の化身としてもてなされたという。
 村中の娘たちが宿をかわるがわる訪れては、その身をもって旅人をもてなして……という民話のなんと多いことか。旅人はその村以外の場所の話をし、村娘は旅人に身を呈して新たな子種をもらい受けた。旅人の来訪は平凡でつまらない村の日常に新たな活力を与え、近親婚で濃くなった村の血を若返らせて、さらなる繁栄をもたらした。
 純化したムラにマレビトを迎える事には並々ならぬ意味が込められているのである。

「……ハレの儀式?」

 天野は妖しく笑った。
 細い目の奥の瞳に炎が揺れる。

「特別な儀式だ。このために人界を離れ、おんごろを築いたのだ。今、あの男をムロに入れているのは、人界からこのおんごろに生まれ変わらせ、このおんごろの民として迎え入れるために必要なイニシエーションだ」

「子宮回帰ね……でも、あの男は望んでおんごろへ来たのではないわ。素直におんごろの民になるとは思えない。所詮マレビトはマレビトよ」

「だが、マレビトはムラに活力を与えるために必要だ。そして、次なる儀式のためにね。……あの男を客としてもてなし、そして次の満月の晩に彼を食う」

 

 

 


act.3-2;バウンティ・ハンター
「だあああああっ!!」

 葉山厳は、このプログラムを組みはじめて3回目の現実逃避に走りつつあった。

「なぜだ。なぜちゃんと動かないのだ。うきーっ!!!」

 葉山はフリープログラマとして日々の糧を得ている。祖父、父と三代に渡る由緒正しいプログラマの家系に生まれ育った葉山は、二十歳前から様々な周辺プログラムを書いてきた。大学を卒業してこの方は、WAN構築委員会プログラム開発局の下請けとして、CVIEWシリーズを始めとする実用プログラムを書いてきた。
 先日、念願のネットワーク管理技師の資格が取れ、CVIEWの改良と新VIEWシリーズの開発のためフリーながら開発室室長という肩書も与えられて、彼のプログラマ人生は順風満帆に見えた。

「くそー、やめてやる! こんなプログラム、デリートしてやるぅぅぅぅ!!」

 が、どんな肩書が与えられようとも、プログラマとしての仕事の内容が大きく変化するわけではない。いつの時代もプログラマに絶叫と現実逃避はつきものである。
 室長の肩書は与えられたものの、プログラム開発室という部屋が構築委員会の施設の中に物理的に実在するわけではない。あくまでも「開発室」の名前は書類上のものである。
 そもそもWANによるネットワーク化が進んだ現在、特にプログラマのような商売の人間が一定の仕事場に通うなどということは考えられなかった。大規模処理能力を持つワークステーションに優先的に直結している回線と端末があれば、プログラマなど自宅でもできる。『通勤のための無駄な時間の削減と交通ラッシュの緩和を考えれば、特定の部屋を設けるより、ホーム・ワーキングを推し進めた方が利口というものだ』というのが、構築委員会の出した回答である。
 前世紀に始まったコンピュータ社会を底辺で支えていると言われたプログラマたちの通勤を簡略化しただけで、首都圏の通勤ラッシュは相当に押さえられた……というもっともらしい噂まであるが、実際、構築委員会の決定に沿うように、民間企業各社とその下請けプログラマ派遣会社は、所属プログラマの在宅勤務制を推し進めた。

 在宅勤務制が、すべてよい方向にだけ働いたわけではない。
 在宅勤務制は通勤の苦しみからプログラマを開放したが、生活空間と勤務空間の空気の差異さえもとりはらってしまったため、仕事をしている緊張感というものがなくなってしまった。
 緊張感のない作業環境を求めて、前時代の先人たちは奔走したのであろうが、いざ仕事をする空間から緊張感がなくなってみると、それなりに弊害も出た。
 上司の監視がないからすぐさぼってしまう……というくらいは大した弊害ではない。最終的に納期までにプログラムができてさえればいいのだ。パソコン通信から発展したネットワークのおかげで、部屋に一人で閉じ込もっていても孤独感を感じることもない。
 オフィスの女の子を生で鑑賞する機会とかオフィス・ラブみたいなものがなくなって、ただでさえ女の子と知り合う機会の少ないプログラマが、ますます恋愛から縁遠くなってしまったというのはそれなりに問題だったが、最大の問題は気分転換ができないことだった。

「だ――――――――――――っ!!」

 葉山は新型の地図表示プログラムの開発に取り組んでいたのだが、度重なるデバッグ作業の末、完全に煮詰まっていた。

「はー、ジレンマ、ジレンマ。気分転換しよう」

 多くのプログラマがそうであるように、葉山は気分転換のために今しなければならない仕事以外のことをはじめた。
 普通、群島に暮らすほとんどの人間は区民登録番号、免許証番号、保険証番号、預金口座などの番号を統一した個人用IDを持っている。これはWANにアクセスするだけでなく、公共サービスのほとんどを受けるために必要なものを統合したもので、これがないと群島では生活がたちゆかないとまで言われている。
 葉山の場合、構築委員会の委託を受けてプログラムの開発にたずさわっているため、構築委員会から官給品のIDも支給されている。官給品のIDは一般の個人用IDよりセキュリティ・レベルが高く、いくつかのクローズド・ユーザー・グループ・ネットワークに侵入することができる。が、多くの場合、そういったCUGNにそれほど重要なことはかかれていない。
 もとより、情報公開の進んだ現代では、法人・個人を問わず他人の情報を破壊・削除してしまわない限り、WANに接続された情報の多くは自由に閲覧できる……ということが建前になっている。
 実際にはまだまだそれほどの情報公開は行なわれておらず、相変わらず無意味な情報隠ぺいやWAN未接続LAN、未接続データベースが数多く存在している。
『情報は流れてこそ意味のあるものであって、それを独占し占有隠ぺいしても市場での有利には結びつかない』とは、かの鬼才・三宅準一郎博士の言葉だったか。

 葉山はキーボードを操作して、官給品のIDでWANにアクセスした。

「うー、何かおもしろいコトはないかなぁー……」

 モニタに映るデータに目を走らせながら、WANのデータをチェックする。

「そういえば、最近TVはCMくらいしか見てないな……。たまにはニュースでも見た方が……やっぱりいいんだろうなぁ」

 ぶつぶつとつぶやきながらASのLAN「アスラン」に端末をつなぎ、最新のニュースを拾い読みしているうちに、おかしなことに気づいた。
 アスランはニュース提供LANである。その性格上、一度作られたニュースは必ずストックされているはずである。
 にも関わらず、ニュース・データを削った形跡があった。だが、官給品のIDの機能ではそれ以上を知ることはできなかった。

「……変だな」

 葉山は官給品のIDを終了させた。
 キーボードの上を喋るより早く指が動く。幼い頃からキーボードに慣れ親しんできた葉山にとって、最近出回りはじめた音声入力式やオプチカル入力式の端末よりも、やはりキーボード入力の方が安心できた。コマンドと独り言を織りまぜてつぶやきながら、キーを操作する。

〈** ASLAN on line **〉「よーしいいぞ」
〈ID please >■〉「今度は抵抗できないIDだよん☆」

 Pから始まるバウンティ・ハンターのIDを起動させる。

〉「パス入力……ん、ん、んっと」
〈Password please >■

 葉山の指は、キーボードの上をピアノを奏でるように動いた。

「さー観念してくれたかな?」

 モニタは1、2秒の空白の後、葉山のIDを受け入れた。

〈Welcome Super root User ! プロムナード監視機構IDによるコネクトを受け入れます。強制走査鍵委譲〉

 アスランのホストは何の抵抗もなく葉山にシステムを解放した。葉山はプログラマの顔とは別の使命を全うすべく、手続きを入力する。

「よしよし。このシステム介入は東京都公的情報保護法第21条2項の定めるところにより、現在より所定の調査のための走査が終了するまでの間、アスランのシステム・オペレート権は監視機構に委譲され、介入の記録は情報犯罪者のIDを保護するための証拠として採用される」

 葉山にとっては本業であるプログラマの仕事より、気分転換の仕事の方が楽しかった。バウンティ・ハンター……いわゆる賞金稼ぎだが、葉山の相手は生身の犯罪者ではなく、WANにはびこる情報犯罪者だった。
 バウンティ・ハンターは監視機構……別名「情報警察」から情報犯罪者の痕跡を探る任務を委託されている。情報警察はWANに接続されている多くのLANに優先的に介入できるIDを持ち、情報犯罪を未然に防止しすでに行なわれている情報犯罪を暴くWAN内の治安維持に尽力する機関である。
 資格試験は行政側が技師を管理するための目安としているにすぎない。構築技師の資格は持たないものの、正規の構築技師より高いレベルの腕前を持つプログラマや情報犯罪者はごまんといる。
 そういった輩のうちの何人かは管理技師や構築技師の資格試験にパスして正規のプログラマとして真っ当な道を歩んでいくが、凄すぎる腕前を持った不幸な天才はどこにでもいるもので、資格試験の枠を越えた能力を情報犯罪に活かそうとするものたちも少なくはない。
 葉山もそういった「未登録の強者」の一人である。一歩間違えば巷の情報犯罪者を簡単に凌駕できる第一線級のデータ・テロリストともなれたのだが、いかなる理由があろうとも、情報犯罪者は許される存在ではないという持論を持つ葉山は、WANを破壊・悪用する者たちを駆逐する情報警察の側についた。
 もっとも、WANの情報領域やシステムを好きに勝手に使っているという点で、情報警察もデータ・テロリストたちにも大した差はない。両者の最大の違いは「犯罪者であるかないか」という点だけにしぼられるといっていい。企業の有するLANに強制介入し、情報領域を勝手に凍結し、人の台所で好き勝手したあげくに出ていくという点では情報警察もデータ・テロリストも変わらない。

 と長い説明をしている間に、バウンティ・ハンター葉山は壁にぶちあたっていた。
 アスランにいくつかの物理削除が行なわれた形跡が残っていた。削除内容を完全に復活することはできなかったが、周辺に残っていたデータをつなぎあわせた結果、デリートされたデータは大して重要ではないように思われた。

「どんな内容かと思ったら、誰かが21号で行方不明になった……たったそれだけの報道じゃないか。誰だか知らないが、相当な強権を発動した奴がいるな」

 構築委員会はことWANに関しては一歩も譲らない頑固親父の集団である。故・本田宗一郎翁が1ダース以上いるようなものだ。その構築委員会に無理難題を通したとなれば、相当な権力を持つもののように思われる。

「群島に相応の圧力をかけられる権力者……日本政府はまず有り得ないから除外するとして……うーん、噂に聞く『東京都のスポンサー』というアレだろうか。それにしても」

 それにしても、消された内容の割にやり方がプロの仕業すぎる。もっとも、大した内容ではないにせよ、公共LANの内容を物理削除するからにはプロの手腕が必要であることは確かである。

「まぁ……いっか。今度の休みに腰すえて追跡しようっと。
 あっ☆ こんなところにも強制侵入の痕が。こっちはもうあからさまに情報領域の不法侵害モンだなぁ。あーあー、規格物でいじってるから正体バレバレ……。どこのド素人だ、この馬鹿は……とりあえず、マーク、と」

 削除痕をこれ以上壊さないように凍結し、バウンティ・ハンターとしての新たなカモ(楽しみ)を見つけだした葉山は、アスランからログアウトした。  

 

 


act.3-3;えりか
 ASでは絶えず流しているニュース・データの他に、特に大きな報道番組を朝昼夜の3回放送している。朝は鵜飼クーミンの「アーキペラゴ・モーニング・ステーション」、昼は「お昼のアーキペラゴ・ニュース」、そして夜が「イブニング・ステーション」である。
 最近、昼のアーキペラゴ・ニュースの担当ディレクターに就任したのは、根戸宏なき後ASでその辣腕を振るいつつあった弱冠25歳の中島えりかであった。女だてらにという言葉は残念ながら死語にはなっていない時世だが、それでも女だてらという言葉を使わずにはいられないほど、女らしくない女である。
 きびきびとした語調でADに檄を飛ばしつつ、主調整室から指示を飛ばす。

「はい、1番! 引いて! VTR、できてるわね? 用意して。はい、3、2、1、テロップ入れて」

 ニュース番組には厳密なシナリオもリハーサルもない。流れ込み続けるニュースの中から放送の直前に流すものを選び、ぶっつけ本番で原稿を読む。本番の緊張はアナウンサーだけではなくニュース・データをかけるスタッフにもみなぎっている。止まることなく飛び込んでくるニュースを流しながらエディットして番組を作り上げていく。
 ASにおいては、ニュース番組は微妙な采配のタイミングを見極めるディレクターの手腕にすべてがかかっていると言っても過言ではない。

「ラスト1分! コメント入れて!」

 インカムに怒鳴って、アナウンサーに指示を与える。テーマ・ミュージックが入って、キャメラの視点が下がっていく。モニタの画面が用意してあったCMのものに変わると、スタジオの緊張が解けた。

「あのう……中島さん、局長室から呼び出しですぅ」

 番組終了と同時に、調整室の入口で待ちかまえていたメッセンジャーが中島を呼んだ。

「わたし? ああ、あれか」

 汗に濡れた額に張り付いた髪を拭い足早に局長室に向かった。

「どういうつもりだね」

 局長室のドアをくぐったえりかに浴びせられた第一声は、AS局長のものではなかった。先代局長が昨年夏に持病で急逝して以来、局長のポストは空席のままになっている。跡目争い……というわけではないが、洋上大学マスコミ学科の教授とAS理事の間に局長の座を巡る権力闘争が起こっているのは、すでにAS局員でなくとも耳にしているものも少なくない。
 今、局長の椅子に座っているのは、前任者なきあと局長代理を務め、そしてもっとも局長の座に近いと言われているASの理事会長だった。
 理事会長は机にしがみつくように背を丸めて中島えりかを見上げた。

「ですから、先日書面でお願いしたように、21号埋立地の取材を飛鳥龍児の代わりにわたしにやらせていただきたいと」

「なんのつもりか知らないが、ASは21号には関与していないし、これから先、関与する予定もない。飛鳥龍児はASにとって部外者だからね。彼が何をしようと我々の知ったことじゃない。それに勝手な行動をとっている飛鳥龍児をどうこうするつもりは我々にもない。どうしてもいきたいなら勝手にいきたまえ。その代わり、21号の取材をする限りASと君とは無関係ということにさせてもらうが」

 理事会長は値踏みするような視線でえりかの口元を見た。唇の右上に小さなほくろがある。

「君ぃ、よく考えたまえよ。根戸というライバルがいなくなったんだ。今のASで君以上に腕のたつディレクターはいないって評判なんだろ? その地位を捨てて、みすみすわけのわからないものに将来をかけることなんかないじゃないか。
 こんなこといいたくはないが、誰かに騙されてるんじゃないの? 妙な入れ知恵で将来を棒にふっちゃぁ割にあわない」

 えりかはなおも食い下がった。

「誰の差金ですか? 21号にいったい何があるんですか! どうしてそこまであからさまに隠そうとする必要があるんですか!!」

「……君ぃ、何か勘違いしているんじゃないかね? 秘密なんか何もありゃしない」

「……そうですか。では、私は勝手に行動させていただきますので、これで失礼!」

「あ、ちょっと、ちょっと待ちたまえ! 勝手なことはしない方が身のためだと、こんなに言っているのにまだわからないのか! 所詮、一個人、一民間人にできることなどたかが知れているんだ。長いものにはまかれろっていうじゃないか。なぜそれがわからん。君ほどの才能があれば……」

 理事会長のヒステリックな言葉は、厚いドアの向こうに閉ざされた。

 イギリス人は、どんなことがあってもティータイムは欠かさないという。
 すみれ色のチャイニーズ・ドラゴンが描かれた白陶のティーカップからは、オレンジペコが香ばしい香りを漂わせている。右手の小指をたててティーカップをつまみ上げたイギリス人は、きらきらと表示され続けるモニタのデータを凝視している。
 VALに代わる新しい端末VISを入れ直したばかりのルフィー西石は、中島えりかを前にろう人形館の人形のそれのように白い顔をわずかに歪ませていた。

「ちょっと、ルフィー。これどういうことよ?」

 リビングの籐椅子に深々と腰掛けた中島えりかは、すみれ色のチャイニーズ・ドラゴンが巻き付いたポットをとり湯気を立てる紅い液体を自分のカップに注ぎながら言った。

「あなたの口利きがあれば、無理が通るって聞いたからあの狸親父のところまで頭下げにいったのに、『飛鳥龍児のことなど関知しない、やるなら勝手に……ただし無関係でやれ』だって……。
 あなたの影響力だか権力だかってのも、結局たかがしれてたわね。あの狸親父さえもどうにもできないようじゃ……イギリス貴族ってのも怪しいもんだわ」

 ルフィーは新しく入れたばかりの端末機器に目を向けたまま、不機嫌な声で言った。

「……Shut up.」

「で、どうするの? 21号ってのは、本当の所なんなのよ?」

「僕の父たちが……C基金の連中が何か隠しているのは確かなんだがな。理由も知らせずにあそこへ近づけようとしないからには、何かわけがあるはずなんだ。根戸がそれに気付いているのかどうかは知らないが……」

「そんな話は聞きあきたわ。それから、アスランのデータを消したのはあなたなの?」

「いや、あれは僕じゃない。たぶん、父だろう。僕の名前が表だって騒がれないように手を回しているようだ」

「ふん。子供の不始末に親が乗り出すか……つまり、あなたはまだまだ親の掌の上から一歩も出ていないボーヤだってことね。あーあ、こんな半人前なんかと組むんじゃなかった。こんなことならゴールドシュミット公爵に身売りすればよかったわ」

 父親の名を聞いた瞬間、ルフィーの身体がぴくりと震えた。

「いいこと? あたしとしてはこの際21号なんてどうでもいいのよ。C基金……たぶん、根戸が追っているのはあなたの実家絡みのことじゃないの? あたしだったらそっちを追うわね。目の前に別のスクープでも転がってこないかぎりね。あなたと手を切って、これまでに聞かせてもらったC基金絡みの話、全部裏とって流させてもらおうかしらね。それに、あなたの恋人の話も。大スクープ&スキャンダルよねぇ。根戸も出し抜けるし、ああ、そうだ。群島のダークサイドを追うって根戸の持ちシリーズもいただきね。ルフィー、おいしいネタをくれてありがとう!」

 ルフィーは完全にえりかに圧倒されていた。謀略をつかさどるには、ルフィーはお人好しすぎるといえるかもしれない。父親ゴールドシュミット公爵や目前の中島えりかのような悪辣かつ貪欲で狡猾な側面がルフィー西石にはなかった。今のままでは、資産を食いつぶすだけの世間知らずなおぼっちゃんで終わってしまう。
 そのことをパートナーとしてあてにしてきた者にさえ見抜かれつつある。

「あなたはいいわよね、お金も権力もありあまってるみたいだしさ。でも惜しむらくは、今のあなたにそれを使いこなす器がないってことかしらね。権力っていうのは、貪欲な悪人が振るうものだってつくづく思うわぁ。苦労知らずじゃ大成できないわよ」

 えりかは口元に薄笑いを浮かべたままに辛辣なセリフを吐きだし続けた。

「じゃあ、どうするべきだと言うんだ!」

「あなた、お父さんを見返したいんでしょ? 恋人を殺したお父さんに復讐もしたいんでしょ? だったら、どこかの島の秘密のひとつやふたつにこだわったり、機械に昔の恋人の声で喋らせたりしてる場合じゃないんじゃない。
 わたしだったら、父親に取りいってC基金に便乗するわね。そして、父親の下でやり口を盗んで、時期がきたら父親の勢力基盤を根こそぎにして、丸裸になったお父さんを惨めに追い落とすの……資産を無駄に使い潰すことなく、そこそこに修業も積めて、最終的には復讐もできちゃうってわけ。お得なシナリオだと思わない?」

「……アカデミー賞をとるつもりなら、あまり誉められた筋書きじゃないな」

「あら。この国ではパタニズムの方が受けがいいのよ。水戸黄門、銭形平次、寅さん、みんなそうよ」

 ルフィーは冷たくなったオレンジペコを飲み干した。

「僕は君を報道番組のディレクターだと思っている。僕の私事への演出を頼んでいるわけではない」

「ええ、雇主はあなたよ。わたしはもらった金額の分だけ手伝うわよ。
 で、どうするの? あたしに口止め料を払った上で21号から手を引かせるか、それとも危険手当をばっちり払って飛鳥龍児に合流させるか。噂じゃ彼、農業工学科の白葉教授をスポンサーにつけたらしいわ。急がないと美味しいところもってかれちゃうわよ」

 えりかは唇の端をつり上げた。

「それとも、あたしを演出家として雇い直して、C基金に乗り込んでみる? あたしとしては、そっちの方がおもしろいと思うけどねぇ」

 ルフィーがえりかの狡猾さに心胆を冷やしたとき、新品の機械が九鬼涼子の声で言った。

「Sir. WAN監視機構から出頭命令です。複数LANへの不法侵入に関する嫌疑。そしてVISを含む西石探偵事務所の作業用法人IDの凍結が行なわれました」

「Shit!」

「これでまたお父さんに借りが増えちゃったわね」  

 

 


act.3-4;侵してはならない
 ゴールドシュミット公爵は渋い表情のまま、灰色のティーカップを傾けていた。
 ノックとともに書斎の重い扉が開いて、暗い表情の執事が老いた身体を公爵の傍らへ運んだ。

「旦那様……」

「なんだ」

「ご子息の……ルフィー様の身にまたしても不都合がございましたようで……」

 公爵はまたか、といった表情でため息をつくと、ティーカップを皿の上に戻した。

「馬鹿ものめが……目立つなとあれほど言っておいたのに。つい先日もゴシップのネタにされかかったばかりだというのに。今度はなんだ」

「群島の……情報警察からの出頭命令にございます。データベースへの不法侵入とか……詳しくはこちらのカードに。で、いかがなさいましょう。いつも通りの措置をおとりになりますか?」

「うむ……いや、このままルフィーの尻拭いを続けるわけにもゆくまい。あやつ、探偵業はもう廃業したのか?」

「それが、探偵の真似ごとをされて東京人工群島21号埋立地についてお調べになっている最中に、こたびの不都合に遭われたようでございます」

「21号? あの21号か。日本政府も東京都も関わろうとしない、あの島か」

 東京人工群島の開発が始まってすでに20年以上の年月が過ぎ去ろうとしている。東京湾に始まった一大埋め立て事業は、諸外国企業の参入と資本投下を呼び、人工群島はさながら金の卵を産むニワトリばかりを集めた養鶏場のように思われた。
 C基金もまた人工群島に出資し、くまなく買いとらんばかりの躍進をはじめたばかりの頃。すでに形の見えはじめていたいくつかの埋立地の中で、権利の買取りや資金操作、下請けの手配などの末端面などに取るに足らないと思われる問題を頻発させ、結局配下に完全に納めることのできなかった島があった。

 買収計画を決めた部長のクルーザーが遭難し、契約書類にサインしようとした担当者が交通事故に巻き込まれて商談に間に合わず、海浜に杭を打ち込んでいる最中にクレーン船は転覆し、工事が滞っている間に島の買取りを代行していた現地法人の社長が、株で失敗して会社が破産するほどの横領を行い……。
 21号に関わった者は、どれも最初は小さなできごとから始まったのが次第に大事に発展し、気付いた時にはもう手が付けられないという偶然に偶然が重なる不幸に見舞われていた。

 日本では御神木・御神体や歴史的謂れのある物を無理に動かそうとしたり壊そうとすると、それに関わった人間に不幸が降り掛かることがあるという。もちろん、これは日本にだけ限ったことではない。ピラミッドから掘り出した遺品を持ち帰ったがために、発掘に立ち会った人々が次々に命を落とすといった怪現象は、決して珍しいことではない。
 資産を発掘事業につぎ込める貴族考古学者を多く排出してきたイギリスだからこそ、その怪現象を現実のこととして受け入れることができたのかもしれない。

 2000年初頭から2010年くらいまでの10年間の間に、C基金は6人以上の現地調査員を21号埋立地へ送る計画をたててきた。が、島に渡る直前や島から帰還した後に、どの調査員も不幸な死に方をしている。交通事故死が2人、病死が2人、自殺が1人、後は国内外で行方不明になっている。
 一時は同一犯による他殺の線も考えられたが、交通事故死者も病死者も自殺者もそれぞれまったく関連のない偶然の積み重なった原因によってその命を断たれており、明確な殺意をもって殺された者は誰一人としてなかった。

 当時、どうしても不審が拭えずにいたゴールドシュミット公爵の実弟は、現地側の担当者が止めるのも聞かず21号に視察に赴き、周辺部を見てまわった後、チャーターしてあった帰りの船で船酔にかかり、吐瀉物を詰まらせて化粧室の中で命を落としている。
 実弟の葬儀のときに、当時副知事だった渋沢功一が前で漏らした言葉は、今も公爵の耳から離れない。

『信じられないかもしれませんが、日本にはまだまだ聖地や禁忌が残っています。もちろん、この聖地にはジーザスはいませんが、そこにいるものたちが我々の生活に影を落とすのは、至極珍しいことではありません。
 なぜ、未だに大手町の将門の首塚を旧官庁街から動かせないとお思いか。なぜ、幹線道路の流れを変えさせてしまう老木が日本各地に点在しているとお思いか。なぜ、ハイテクビルを建てる前に日本人は神主を呼んで「地鎮祭」を行なうとお思いか。
 これらは、日本人の信仰に基づいて行なわれているだけではありません。行政レベルでやろうとしても、どうしてもできないことがあるんですよ。そして、地鎮祭をしなかったばかりに没落していった企業も実在します。
 日本には郷に入りては郷に従えという諺があります。21号は、このまま手を触れないでおくのがよいでしょう。そこへ行きさえしなければ、関わりさえしなければ我々に不幸を与えはしません。
 迷信深いと笑われるかもしれませんが、世の中には侵してはならない場所もあるんじゃないでしょうか。私はそう思います。いや、そうとしか思えません……』

 渋沢功一副知事は、決してオカルティストではない。むしろ、理想を次々と実現させるマジシャンのような超現実主義者で通っていた人物である。そして、それまでの公爵も渋沢功一に劣らないリアリストであった。そのときの渋沢の言葉を鵜呑みにするほど信心深くもなかった。
 しかし、21号への投資は次第に浪費に代わっていった。金もチャンスも人材も21号に関わるあらゆるものがC基金から吸い尽くされていくようにさえ思えた。
 そして8年前の2011年、公爵は21号への介入を諦めたのである。

 その後業績は次第に回復し、21号での痛手を回復するに足る収支と洋上大学を巡る技術的蓄積を得ることができたが、以来、公爵に取って21号は「関わらざるべき禁忌」として残っていた。
 大手町の首塚やツタンカーメンの王墓のように何が奉られているのかはっきりしているならともかく、海底から隆起してきた埋立地である21号に、いったいどういういわくがあるのか……知りたいという好奇心を押さえるのは難しいことだが、それを知ろうとすることによる代償の大きさを見てきた公爵は、21号と関わることを無意識に避けていた。

「よりによって……馬鹿が……」

「旦那様……」

 ゴールドシュミット公爵は、深いため息をついた。渋沢功一の言葉が幾度となく頭の中に響いている気さえしている。

「いや、大丈夫だ。年寄りではあるが、私はまだまだ生きるさ。まだ、見てみたいものがいくらもある。ヘヴンへはこの命が尽きる前に自分の力で行ってみせるよ」

「ルフィー様の件、いかがなさいますか?」

 老執事は、再び問うた。

「ルフィーに伝えろ。ルフィーが21号に関わるのをやめ、探偵を廃業してC基金へ……我が元へ馳せ参じるようなら、ルフィーにかかった出頭命令を取り消させる、と」

「もし、ルフィー様が従われなかったときは……?」

「あんな奴でも我が子息だ。そこまで馬鹿とは思いたくないが……もし従う様子がないなら、そのときは……」

 金細工を施した3メートルはあろうかという置き時計がチャイムを揺らして4時を告げた。

「そのときはもう一度、私に知らせてくれ」  

 

 


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