act.4-1;裁決は下される


 中島えりかは、いつになく緊張した面もちで籐細工のソファに腰掛けていた。
 辣腕ディレクターとしての風格も落ち着きも、今は感じることができない。一切のノイズを廃した静けさがえりかの耳を射し貫く。
 えりかは、場違いな場所に放り出されてしまった迷子のような心細さに身を縮めた。金細工を施した3メートルはあろうかという置き時計の存在感は、えりかの細身の身体を押しつぶそうとのしかかる。

「……」

 えりかは、これから目通りする相手を思い浮かべた。東京人工群島に進出するEC系企業体「ロード・ブリテン」の会長にして、ロンドン・シティ金融界の重鎮。
 えりかの生涯の中で、これまでにこれほどの「大物」に直面する機会はなかった。否、もしかしたらこれからもないかもしれない。総統、大統領についで、世界を実質的に動かすことができるかもしれない超大物に、単独インタビューを挑むことができるのだ。この内容が公表できれば、ジャーナリストとしてのえりかの地位は止めどなく上がる。あの根戸宏の実妹・根戸安香に向けられたかりそめの評価など、簡単に覆すことができる。
 えりかは、数日前ニュース・ゴシップ番組で一躍注目を浴びた根戸安香へ嫉妬していた。本来ならスクープはえりかの得意とするジャンルである。これまでの地位もそういった抜打ち的スクープによって築き上げてきただけに、ディレクターとしての人気や評価をアナウンサー上がりで後発の安香に奪われてしまったことは、我慢がならなかった。
 それだけに、万難を廃し悪魔に魂を売り払ってでもこの単独会見の機会を成功させなければならなかった。
 えりかは滅多に着ないスーツのジャケットに付けたタイピンに触れた。タイピンの縁のやや大きめのレンズは、微細な光ファイバーによってジャケットの内ポケットに仕込んだ手帳大のCCDレコーダーに直結されている。2カ月前に三宅総研から発売されたばかりの超微細キャメラであるが、安香の番組で使われた三宅総研謹製の超々微細キャメラのプロトタイプよりは一世代古い。
 そのことは勝気なえりかの競争心を煽り立てるには十分だった。

「安香……あんたに大きな顔はさせないわよ」

 アマンド・ピンクのルージュを引いた唇を噛みしめたとき、部屋に通されてから二度目のチャイムが鳴り響く。と同時に、部屋の入口の扉が重々しく開いて、扉に負けじとも劣らないほどに重苦しい気配をまとった人物が、えりかのいる部屋に足を踏み入れた。
 のしかかるような気配に弾かれて、えりかは籐細工のソファから立ち上がる。

「はじめまして。わたくし、日本のTV放送局・アーキペラゴ・ステーションのディレクターを務めております中島と申します。本日は我々のインタビューのために貴重なお時間を割いていただき、誠に……」

 シルバー・ブロンドの老紳士は、えりかの差し出した右手を無視してテーブルの上座に座った。この人物にとって、下々の者になど触れる価値さえもないようだった。たとえ、金の卵を産む者たちとはいえ、彼から見ればえりかなど所詮は黄色い小さな日本人に過ぎないのである。
 老紳士はぞっとするほど冷たい微笑みを浮かべて、立ち尽くしたままのえりかに椅子を奬めた。

「Sit down please.」

 えりかは空をかきむしるばかりの右手をさりげなく引き戻し、籐のソファに腰を下ろした。身体を老紳士に向け、タイピンに光るレンズのフレームに老紳士の半身を納めつつ、儀礼的な言葉を続ける。

「本日はASのディレクターとして、ミスターのお話をお伺いしにお訪ねさせていただきました。強力な競争力を持つ日本企業のお膝元とも言える東京人工群島へEC系企業体ながら進出なさっている『ロード・ブリテン』の会長を務められているあなたに、こうしてお話を伺うことができることを光栄に思います」

「ミス中島。猿芝居はよそうじゃないか」

 老紳士の表情からは、なおも冷たい薄ら笑いは消えなかった。

「私のマスコミ嫌いは知っているだろう。その私が一介の、それも東京ごときの放送局の単独取材を了解することなど有り得ない。
 にも関わらず私が君との会見を受け入れた理由は、君を私のところへ送った人物が誰かわかっているからだ。
 私の裏をかいて私を出し抜くつもりで君をここへこさせたのだろうが……誰の差金か承知せずに、私が初対面の者をこの部屋に通すはずなど有り得ない。
 あやつにはまだそれが判らないらしいな」

 えりかの表情が厳しくなった。老紳士は、何もかも見透かしていると言わんばかりに目を細めて言った。

「まったく出来の悪い息子を持つと苦労する。ルフィーは元気かね?」

「ええ、元気ですわ。ゴールドシュミット公爵」

「それは結構なことだ」

 えりかは観念した。相手は国際政治・金融を思うがままに操る化け物である。すべてを見透かしているかのような洞察力と、その上ですべての策を整えきってことに望んでいるのであろう周到さに、自分との格の違いを思い知らされた。
 判っていて接しているのでなければ、ルフィー西石がこの人物の親族であるなどとは到底信じられなかっただろう。この人物の前で謀り事をするには、えりかはまだまだ経験が浅すぎた。ルフィーに至っては足元どころかつま先にも及ぶまい。
 相手が強大すぎるのだ。
 ルフィー西石は、父親であるゴールドシュミット公爵の真意を確かめるために中島えりかに取材を装わせて送り込んできたようだが、公爵にルフィーの策は通じなかった。
 えりかの機先を制して、公爵は単刀直入に訊ねた。

「君をここに差し向けたからには、ルフィーはなんらかの回答を出したものと思うが……何かことづかっていないかね? 探偵などやめてロード・ブリテンの中枢をなし……C基金の一員たる自覚に目覚めるか否かについて、だ」

「C基金……東京人工群島に資金を流す金融シンジケートが実在するという事は、公然の秘密と言っていいようなものでした。C基金メンバーであることを肯定する者は、これまで一人としてありませんでしたわ」

「今更隠すことでもあるまい。少なくとも君は知っているのだろう? どうせルフィーから聞いているだろうし」

 実の父親だけあってか、公爵はルフィーの甘さをも知り抜いていた。
 沈黙が支配する部屋の中で、えりかはルフィーが権力を扱うには甘すぎる人物であることを痛感していた。権謀術数というものを効率よく行使することは、世間を知らないものにはできまい。世間知らずの貴族のボンボンであるルフィーにとって、ゴールドシュミット公爵家の権力は強大すぎ、そして資産は食いつぶすより他にないオモチャに過ぎなかったのだ。
 国家元首の地位を得ずに総統と大統領を凌駕するとまで言われたゴールドシュミット公爵の最大にして最悪の不幸は、跡継ぎに恵まれないことであった。

「公爵のお尋ねになった質問に対する回答は……ミスター西石からは特に預かっていません。ですが、あなたのもとに呼ばれながら、ここに彼がいないことから察していただけるのではなくて?」

「そうか。私に刃向かい続けることができると信じているのだな、あやつは……」

 公爵は一瞬だけ眉根をよせ、息を漏らした。その口元からそれまでの薄ら笑いを消し、目を伏せて何事か考え込んだ。
 えりかは公爵の格に圧倒されながらも訊ねた。

「僭越とは思いますが、ひとつお伺いしてよろしいかしら?」

「…… Please.」

「非常にプライベートな質問ですわ。ルフィー西石があなたの命に背き続ける場合、彼をどうなさるおつもり?」

「……極めてプライベートな質問、だな。本来、マスコミに漏らすコメントではないが、あえてそれを知りたいというのなら答えよう。
 ルフィーがこれまで困難な事態に陥った場合は、ゴールドシュミット公爵家の名を汚さぬ為に様々な策を高じてきた。そして、ルフィーがまたしても実に困難な状況にあることも知っている。
 だが、私の意志と期待に背く者など、誇りある英国貴族であるゴールドシュミット公爵家の一員とはみなさない。ルフィーが我が命に従わぬ限り、ゴールドシュミット公爵家はルフィーに関する一切の援助も救済措置も行なわない。無関係の人間に投資し続けるのは慈善家の仕事であって企業家のすべきことではない」

「それは……つまりルフィーを見限るということ?」

「Yes. ルフィーの持つ資産の凍結。キャッシュカードの支払い停止。役員を務める会社からの追放。ゴールドシュミット公爵家との一切の関わりを拒否し、超法規的特権をルフィーから排する。無論、日本国内外における違法行為のもみ消しも行なわない。聞けば東京人工群島の情報警察から出頭を求められているそうだが、それに関する救済措置も行なわない。ルフィーが我が意志に従わない限り、この裁決が覆ることはない」

 公爵の裁決は下された。この瞬間、ルフィーからいくつもの肩書と特権がそぎ落とされた。貴族的特権も、湯水のように金を使うことも、ゴールドシュミット公爵家の一員を名乗ることも、公的組織へ圧力をかけることも。
 権力と金をそがれたルフィーから得られるものは何一つなく、ルフィーにいくらかのギャランティで雇われていた中島えりかとの契約も消滅した。
 えりかは金でつながれたルフィーとの信頼が消滅したにも関わらず、なお脳裏にわだかまる気がかりをぬぐいさろうと、ルフィーの行く末について公爵に訊ねた。

「でも、ルフィーが犯罪者として追われることは、たとえ関係を断ちきったと言い張ろうとも、公爵家のスキャンダルにつながるのではなくて?」

「公爵家の名を汚す情報だけを選んで消すのはたやすいことだ。もっとも早いのは、スキャンダルを起こすやもしれぬ者を消してしまうことだが……あんな者でも我が子息だからな。そこまでする気にはならんな。今のところは。
 それに犯罪者として追われ〈続ける〉ほど、ルフィーが長く逃げ続けられるとは思っておらん。早々に拘置所なり刑務所なりに投獄されたならされたで、監視の手間がはぶけていい。違うかね?」

「では、ルフィーが誰か別の組織と組んだとしたら? 公爵家がルフィーとの関わりを断ちきりルフィーが裸一貫で投げ出されたとしても、あなたに拮抗することのできる力を持った人物が現われてルフィーを拾い、あなたとロード・ブリテンを、そしてさらにC基金を脅威に晒したら?」

 公爵は思いの他鋭い問いを仕掛けてくる小娘に興味を覚えながら答えた。

「今、私に拮抗できる者など存在しない。また、私がこういうのもなんだが……今のままのルフィーと手を組もうなどと考える愚か者など私の敵ではない。
 私も鬼悪魔ではない。チャンスは残してやるさ。私の元に参じれば許してやらんこともない」

「なるほど……公爵は、最初からルフィーのかなう相手ではなかったようね。こんなことならやっぱりルフィーなんかにつくんじゃなかったわ」

「君はルフィーが選んだにしては、優秀なエージェントだったようだが……クライアントに恵まれなかったようだ」

「まったくですわね。やはりわたしにはジャーナリストが向いているみたい」

 ふっきれたのか、えりかは多少フランクな調子で吐き出すように言った。公爵は懐から懐中時計を取り出して一瞥すると、竜頭を少しだけ回して元の内ポケットに戻した。

「同感だな。さて、ミス中島。愉快……とは言わないが有意義な時間を過ごせて楽しかったよ」

「いえ、こちらこそ。では、私はルフィーにことの次第を伝えなければなりませんのでこれで失礼します」

「忠実だな。だが、ルフィーへの報告は必要ない。ほっておいてもいずれ本人が思い知ることだ。それに君をこのまま帰すわけにもいかない」

 ゴールドシュミット公爵は再び冷たい薄ら笑いを唇の端にはりつけたまま、籐椅子から立ち上がろうとしたえりかをやんわりと制した。

「どうも君は知りすぎているようだ。ルフィーのこと、私のこと、C基金のこと。私はマスコミの人間が嫌いでね。特にジャーナリストなどと称する輩は大嫌いだ。金を積もうが、脅しをかけようが、こちらの都合も考えずに余計なことをさえずりまわる。迷惑千万だ。私はそういう輩は消してしまわない限り安心できないタチでね。
 君は聡明だし、駆引きの才もある。君がジャーナリストでなければ、ルフィーの監督役も任せられたのだがね。いや、実に残念だ。マスコミの人間だとは言え、美しい女性を葬らなければならないというのは実に心苦しい。私が直接手を下すのではないとはいえ……こればかりは何度やっても慣れるものではないな」

 えりかは公爵について部屋の隅に控えていた二人の男の気配を、自分の背後に感じていた。
 公爵は実に残念そうな表情を浮かべ、えりかのタイピンをはぎ取った。

「これだからマスコミの人間は好きになれない。わかって貰えるかね?」

 

 

 


act.4-2;冒険者たち
 20号埋立地の南の果てにぽつねんと建つホテル「犬と雄鳥亭」の夜は、相変わらずの賑わいを見せていた。
 中世ファンタジー風RPGファンの巣窟である犬と雄鳥亭の一階の酒場には、今日も皮鎧やローブに身を包んだ怪しい「自称・冒険者」たちが集い、どこで行なわれたともしれない冒険譚を声高に語り合っていた。

 彼ら犬と雄鳥亭に巣くう自称・冒険者たちの多くは、夜明けとともにそれぞれの仲間たちとパーティを組んで冒険の旅と称してでかけていく。
 旅だった彼らの大部分は北の船着き場に日に2回だけやってくる水上バスに乗り、皮鎧をスーツにローブを白衣に着替えてそれぞれの職場や研究所に向かい、激戦ともいえる日常を送っている。身も心もボロボロになるまで働いた冒険者たちは、再び水上バスの中で皮鎧やローブに着替え、剣や杖を持って意気揚々と犬と雄鳥亭に帰りつき、ファンタジーっぽいプライベートを楽しむというわけだ。

 しかし、実際の所この20号埋立地には、21号よりはまだマシという程度に過ぎないくらい怪しい生物や、魔物と呼びたくなるような獣が実在するらしい。
 そういえば、飛鳥龍児と境伸也を襲った獰猛な軍鶏の群れは農業工学科の実験の産物らしいが、あれはバイオ・ハザードに当たらないのであろうか。
 それでも、酒場の自称・冒険者たちが語りあっている冒険譚のうちのいくつかは、どう見ても作り話では済まされないような事例も混じっている。腕や足に何かに襲われた傷を持つものも少なくない。ときおり、出かけたきり戻ってこない常連客もいるそうだが、その理由について彼らは一様に口を閉ざしていた。

「武器がいるなぁ……」

 酒場のカウンターのスツールに腰掛けた飛鳥龍児は、誰に言うでもなく呟いた。
 犬と雄鳥亭の女将、ネニエル・ルルットは、飛鳥を気にも止めずカウンターの奥でシェリーを傾けている。

「たまたま大鵬さんがスタッフに加わってくれたとはいえ、この近辺に疎い僕らだけではまだまだ心細いし」

 だから武器が欲しいというわけである。武器と言っても、ここはあくまでも東京である。銃刀法は今だ健在で、密売組織につてのない民間人がデパートで銃を買えるほどにはなっていない。一見すると武器兵器の宝庫のように思われる軍事学部に至っては、殺傷兵器は米軍や自衛隊のそれを凌ぐほど厳重な管理下におかれており、武器兵器を軍事学部の敷地外にこっそり持ち出すなど不可能の極みである。
 だが、世の中にはいくらでも抜け道というものがある。鏃のついていない和弓・アーチェリー・ボウガンなどの弓類や、鑑賞用ということで刃を付けていない刀剣の類など、原始的と思われる武器の一部なら手に入れることはできるはずだ。
 事実、この犬と雄鳥亭に出入りしている連中は「武器」と称する得物を持っているではないか。
 飛鳥はグラスを干すネニエルに訊ねた。

「ねぇ、ネニエルさん。武器って手に入りませんかねぇ。ここの人たちが持ってるような」

「欲しいの? 剣・盾・ボウガンに杖でも呪文書でもなんでもあるわよ」

「いや、呪文書は要りません。実際に、この辺に出る変な生き物に対応できる武器が欲しい」

「欲しければいくらでも売ってあげる。でも、使いこなせない武器は荷物以外の何物でもないわ。襲われた時に逃げる邪魔になるだけよ」

 ネニエルは飛鳥のグラスにシェリーを注いだ。
 飛鳥はグラスを満たすシェリーを見つめながら、ネニエルに答えた。

「……使いこなせるとは思っちゃいませんよ。まぁ気休めかな。それに、武器の使い手ならこの店の人たちが得意なんでしょ? 俺達の探検に一役買って貰えればいいかなぁ……ってね」

「ここの連中をスカウト? はン、止めといた方がいいわね」

 ネニエルは喧噪の中に冷やかな視線を投げ掛け、カウンターに肘をついた。

「ここにいる連中のほとんどは冒険者でもなんでもないわ。冒険者でいる振りを楽しんでいるだけ。
 普段、どういう商売をしてるのか知らないけど、そういう日常から逃れて現実逃避をしてるだけなのよ。実際に確実に危険な場所にほいほい出向いていく勇気なんか、誰にもない。英雄のポーズを真似ているだけの人間に英雄と同じ働きなんかできやしないのよ」

 飛鳥にとって、ネニエルの答えは少々意外に感じられた。この寂れた場所でこんなマニアなホテルを営んでいるからには、きっとこのネニエル自身がもっともファンタジーの世界に身を浸した人物なのだろうとばかり思っていたのに、その素顔は思いの他醒めている。
 むしろ、郷に入っては……とばかりに、ファンタジーなノリに期待した飛鳥の方が、ネニエルより甘かったのかもしれない。

「そういうポーズを楽しみたい連中のおかげで、このホテルも繁盛させてもらってるけどね……怪物と闘うどころか、ここの冒険者は最近この近くにきた軍鶏の群れにだって立ち向かえない連中よ」

 ネニエル自身はどうなのか。ファンタジー・マニアの似非冒険者に夢を与えるという目的のためだけに、ここに居座っているわけではなさそうだったが、彼女が何のつもりでいるのかを聞き出すことはできそうになかった。

「ま、役にたつかどうかはわからないけど、あんたたちに使えそうな武器があったら貸し出すよ。払いは帰ってからでいい。あの金井って大男に持たせてやりな」

「ふむ……御協力ありがとう」

「どういうつもりか知らないけど、21号へいこうなんてあんまり利口じゃないねぇ。なんでわざわざあんなところへいくの?」

 飛鳥はかりかりと頭をかいた。

「はぁ……まぁ、先に取材に行った根戸という人が行方不明になってましてね。その人を救出に……それと取材、ですかね」

「取材ねぇ……私から見れば、ここの連中よりあんたたちの方がずっと冒険者って感じがするわね」

「冒険者とかそんなんじゃないすよ。どっちかといえば、俺も根戸さんも骨の髄から『ジャーナリスト』って奴ですからね。わからないことがあると無性に知りたくなるし、自分が知ったことはやたらに人にも教えたくなる、と。それだけです。
 ジャーナリストにとって、『知り続けること』は義務であり宿命であり……まぁ業といってもいいかな。人間が知りたいと思っていること、知らなきゃならないことを、それができない多くの人の代わりに知ろうとする……そういう本能が、ふつうの人よりちょっと強いってだけですよ。
 たぶんそういうことをするために、この世に落っこちてきたんでしょうね。ジャーナリストっていうのは。ま、与えられた使命云々はともかく、知りたいって欲求を押さえきれないだけで、決して誉めて貰うようなことじゃありません」

「ふん……」

 ネニエルは飛鳥の言葉を肯定も否定もしなければ、けなしも誉めもしなかった。
 再び最前までのように、興味のなさそうな顔に戻ったネニエルは、グラスの底に残っていたシェリーを煽った。

 

 

 


act.4-3;ひとりにしないで
 報道特番の夜からもう幾晩が過ぎただろう。
 その幾日もの日々を、中嶋千尋は白葉透教授の元に身を寄せて過ごした。
 白葉教授の廻りには二人の未来を祝う気の早い人々が、金銀水引の封筒に新品の札を入れて集まった。
 元より白葉教授の日常には宴会の火が絶えることはなく、賑やかで楽しい毎日を過ごせること、そしてその口実ができたことを白葉教授自身、楽しんでいるようにも思えた。

 一人きりでいるのが嫌だから……だからいつも誰かにそばにいて欲しいからだから宴を絶やすことができない。もてなし好きで賑やかなことが好きな白葉教授の心の奥に潜むものの匂いを、千尋は敏感にも嗅ぎつけた。
 千尋もまた、教授と同じ気持ちを持っていた。だからこそ教授の想いに共鳴し、教授に惹かれたのだ。
 寂しさを紛らわそうと宴を開いても、パーティの終わりに誰もが帰ってしまうと、なんだかとても寂しくなる。それまでの喧噪がとても懐かしくなる。宴がどんなに楽しいものであったとしても、それをいつまでも続けることができないなんて、そんなことは判っている。けれど、宴の後に一人ぽっちで残されるなんて、寂しいじゃないか。
 だから、自分は……恐らくは教授も、宴が終わった後も側にいてくれる誰かを探していたのであろうと思う。

 そして願いは叶えられた。
 もう独りではない。

 独りではない……はずだった。

「えーとね、すまんが千尋くん。私は今晩は遅くなると思うんで、先に寝てなさい」

「……また?」

「そっ、そんなすがるような眼で見るんじゃない。私は白葉透であるとともに、研究者でもある。人類に近い将来訪れる新しい世界のため、閉鎖生態系の研究をより向上させなければならない使命を帯びているのです」

 白葉教授は、ぐっと拳を握りしめ、そそくさと玄関を出ていった。
 確かに連日連日、宴会ばかりしているようにも見えるが、白葉教授だって決して遊んでばかりいるわけではない。
 農業工学科主任教授として学生を教え、並行して進められている多くの研究を監督指揮し、バイオスフィアの目玉である閉鎖生態系の研究にも余念がない。研究することは教授の使命であり人生でもある。白葉透という個人であると同時に、閉鎖生態系研究の第一人者として公人として己に課した義務を果たさなければならない。
 ここ数日というもの、自宅での宴会と研究所へ泊り込んでの徹夜の実験と、白葉教授はパワフルな毎日を過ごしていた。
 しかし同棲生活を始めてから、まだ一度も二人だけの晩を過ごしていないのだ。

 同棲を始めたばかりの千尋と顔を合わせるのは自宅での宴会の席に限られてしまうが、それはそれで十分だと思っていた。二人っきりになれないのは、白葉教授の照れる性格もある。そして、白葉教授は千尋と二人きりになることを恐れてもいた。何をしてしまうかわからないから……というよりは、何をしていいのかわからないからかもしれない。
 だから今は、ふと顔を上げた時に千尋の顔が見える……それだけで満足できた。たとえ周囲に客がいようと、千尋もそこにいてくれればそれでいい。白葉教授はそのささやかな幸せに満足していた。
 謙虚であるようにも見える。だが、それは意気地なしなだけなのかもしれない。

 千尋は教授の後ろ姿を見送りながら思った。
 二人で暮らし始める前は、確かに教授の心が見えたのだ。独りになるのは寂しいよう、という声も感じられたのだ。千尋の中にある同じ気持ちが、教授のそれに共鳴して惹かれあったのだ。二人でいることを、二人の心が求めあったのだ。
 なのに。

(……教授が……見えない)

 こんなに近くにいるのに、なぜか今は教授が遠かった。
 二人で暮らすことを心に思うことは夢だった。二人で暮らしはじめたことはまぎれもない現実だった。望みがひとつ叶い、また一歩幸せに近づいたはずだった。
 特番の夜、汗だくの教授がこぼした言葉を聞いたとき、幸せはたどり着いたゴールのテープを切った瞬間のように千尋の中を駆け抜けた。
 そう、幸せはあの瞬間の中に確かにあったのだ。
 しかし、幸せを長く感じることは難しい。幸せな気持ちは麻薬にも似ている。一度味わってしまったらより強い幸せを求めずには、より新しい幸せを求めずにはいられなくなってしまうものなのかもしれない。

 なぜ教授は自分を求めてくれないのかな。二人っきりは嫌いなんだろうか。
 研究が大事なのはわかっている。それをするためにこの世に生を受けた人なのだから。それはわかってるの。
 だけど……。
 千尋は、部屋の片隅にうずくまるフラットブラックの仔猫を抱き上げた。

「ねぇ茄子。二人でいれば、寂しくないよね……って思った。透さんも同じだと思ってた。たくさんの人と一緒にいるのは楽しいし、透さんと一緒にいられるだけで十分なくらい幸せだとも思った。
 だけど、たまには二人っきりになりたいなって思うのは、あたしのわがままじゃないよね。ねぇ茄子。そうだよね……」

 茄子は千尋を見つめたまま、何も言わなかった。

 

 

 


act.4-4;新車に乗る暇もなく
 ルフィー西石は、西石探偵事務所のガレージに届けられたばかりの新車を前にして困惑していた。

「これがカウンタックか……?」

 ふとしたことから逃がし屋ランディング・ナイトこと聖武士のGT40に挑戦することになったルフィーは、GT40に挑戦するためだけに持ち前の財力を活かして湯水のように金を使い、まっさらのカウンタックの購入した。
 ……のだが、ルフィーの目前にあるのは、彼の想像していたガルウィング・ドアで、車高が数センチもない『スーパーカー』とは少々趣の異なる自動車だった。

 東京都群島区こと東京人工群島は、都条例により全国でもいち早くガソリン内燃機関による660cc以上の自動車の通行規制が施行されている。バスなどのコミューターを始めとして、道路を走る車の多くは電気自動車や水素エンジン車に取って変わられようとしている。
 ルフィーが持っているモーガン4/4・1600のように、運輸省認可の仮ナンバーを取得すれば走らせることができないでもないが、GT40やカウンタックなどといったモンスターカーを走らせるということは、環境保護から環境制御へ進んだ現代の地球環境保全政策に逆行する無謀行為以外の何者でもない。
 それはそれとして、ルフィーはディーラーから届けられた「カウンタック」と称する耕運機の前で困惑の極みにあった。

「……カウンタックかなぁ?」

 ディーラーのミスということも考えうる。ルフィーは伊島にショールームを持つ、ランボルギーニの日本総代理店に問い合わせるため、ヴィジホンを手にした。
 ディーラーの答えは実に熱のこもったものだった。

『カウンタックです。まさしくランボルギーニ・カウンタックです。かのカウンタックL400のエンジンをチューンナップしたモンスター・エンジンを搭載し、未開墾の荒れ地をたちまちのうちにたがやす驚異のパワー! タイヤは1メートル70センチ径のスーパーサイズ! 新時代の大型コンバイン、ランボルギーニ・カウンタック・コンバイン!』

「なに!?」

『ですから、農業工学科白葉透教授の肝入りで創設された、ランボルギーニ・ジャパン・ディーラーが自信をもってお奨めするコンバインの名車、ランボルギーニ・カウンタック・コン……』

「カウンタックじゃないのか!?」

『だからカウンタックのエンジンを使ったコンバインですってば!』

 白葉教授肝入り……というあたり、どうやら耕運機専門のディーラーであったようだ。
 ランボルギーニと言えば、カウンタック、ミウラ、イオタなどの往年のスーパーカーを連想しがちだが、大排気量のモンスターカーを作り出す前は、耕運機などの農業用機械専門のメーカーであった。が、さすがに時代の流れというものか、走る公害とも言うべき大排気量のガソリン駆動の乗用車はもはや生産されておらず、またガソリン駆動車の通行が規制されている人工群島からそんな注文が来るとは考えもしなかったため、ディーラーもメーカーも、『カウンタック・コンバイン』なる売れ筋の耕運機を受注してしまったのである。

「そうか……勝負の日まで時間もないし、トルクと排気量だけなら予定していた方のカウンタックと同等以上のものがある……まぁ、なんとかなるだろう。慣らしでもするか」

 最近のルフィーは、妙に諦めが早くなっていた。
 最新鋭端末であるVISを入れたばかりにも関わらず、一度目はインストール・ミスでシステムを全フォーマットしてしまった。二度目のインストールはうまくいったものの、稼働し始めた直後に、それまでVALで行なってきたハッキングがバレて、WANからの出頭命令と併せてVISの機能のほとんどを凍結されてしまった。ホーム・オートメーションのほとんどの部分をVAL・VISの二世代のシステムに頼りきっていたルフィーは、おかげで日常生活にさえ不自由するはめになったが、これも運命とばかりに受け入れてしまうようになっていた。
 ルフィーは重いシャッターを自らの手で引き揚げながら、世の中が自分の思い通りにゆかないことに少し腹をたてていた。

「……ロンドンではこんなことは一度もなかったのにな。ここにきてからというもの、何もかも調子が狂いっぱなしだ」

 シャッターと格闘しながらぶちぶちと愚痴をこぼす姿に、英国貴族の優雅さはあまり感じられなかった。
 カウンタック・コンバインが通れる高さまで開け放たれたシャッターの向こうに、見知らぬ二人組の男の姿があった。

「あのう……こちら西石探偵事務所でよろしいんでしょうか」

「そうですが、ご依頼ですか?」

「いえ、そういう訳ではないんですが、あなたルフィー西石さん?」

「ええ」

 黒い化繊のコートを羽織った背の低い男は、開け放たれたシャッターの奥の栗毛の男をなめるように見た。情報警察のバウンティ・ハンターである葉山厳から寄せられたデータによれば、英国貴族のはしくれだとかいうもっと高貴な身分であるように思われたが、耕運機の横で息をつく男はどう見ても英国貴族には見えない。

「我々は警視庁群島区北警察署の情報犯罪課の者ですけど、あなたに私的・公的情報保護法違反による、LAN不法侵入の容疑がかかっています。すでに嫌疑のかかっている端末は凍結してありますんでご存じとは思いますが、我々と一緒に署まで出頭していただけますか」

 ルフィーは、いままでVAL、VISを使ってWANやLANなどに侵入し、様々な調査活動を行なってきた。時折足がつくこともあったが、そういったトラブルはすべて実家の権勢をバックに警察上層部に圧力をかけて回避できてきた。
 先の出頭命令とVISの凍結も、これまでと同様に警視庁高官にヴィジホンを一本入れるだけで済まされるはずだった。しかし、なぜか今回はVISの機能はいつまでたっても回復せず、頼みの綱としていた高官からも何の音沙汰もない。

「その件に関してはすでに処理済みになっているはずだが……。署長から何か聞いていないか?」

「いえ。情報侵害は重罪です。これまでも、そしてこれからも犯罪者がいかなる身分であろうとも、一切の特例・恩赦は認められません」

 それが建前にすぎないことは、言った刑事もルフィーもよくわかっていた。事実、ルフィーは自分の身分と実家の権勢を盾に、幾たびかの情報侵害罪を握りつぶさせてきたのだ。
 だが、今回ばかりはうまく握りつぶすことができないでいるようだ。
 ルフィーは、あっさりと刑事の主張を受け入れた。

「わかった。出頭しよう。しかし、何分急なことなので出かける仕度をしていない。着替えてくるので少し待っていてもらえないか?」

 あからさまに時間稼ぎととれるルフィーの言葉を警戒した刑事は、貴族だと言うルフィーに対して言葉を選びながら釘を刺した。

「失礼ですが、すでに西石探偵事務所の周囲は我々が包囲しています。逃亡なさるつもりでしたら……」

「そんなことはしない。どうせ、情報警察から情報は得ているんだろう? 僕は誇りある英国貴族の一員だ。英国貴族はその地位の高さに応じた義務と責任を負うことを、生まれたときから義務づけられているのだ。そんなチンピラのような真似はしない。安心したまえ」

「では、あなたの言葉を信じましょう」

「Shit! 親父だな!?」

 ルフィーは、東京人工群島の資金源であるC基金を牛耳るゴールドシュミット公爵の影響力が、底知れないものであることを思い知らされた。これまでは自分もその権勢の尻馬にのって特権に甘んじる立場だったが、今度はその特権を奪われたばかりかルフィー自身を破滅させるためにその権勢が働いているのだ。
 身仕度をすると答えたものの、そう長い時間は残されていない。せいぜいが十数分といった余裕しかあるまい。ガレージから階上のドレッサールームに駆け込み、10分で身支度を整える。ただし、英国貴族・ルフィー西石の身支度ではない。
 完璧を目指すルフィーとしては、到底満足できる仕上がりとは言えなかったが、ゆっくり顔を作る時間は残されていない。手早くファンデーションを塗り、薄い色のルージュを引いて鬘髪を付ける。地毛と鬘の継目を目立たせないようにするため、昔流行った赤いペイズリー模様のバンダナを髪にしばる。黒いタイツに丈の短いミニ・スカートをはき、たちまちのうちに「女」になりすます。

「西石さん。まだですか、西石さん!」

 異変に気付いた刑事がドレッサー・ルームのドアをがんがんと叩いている。
 ルフィーは壁際の化粧台をひっくりかえし、すでに知られているであろう隠れドアを開いて、裏口へ抜ける秘密の抜け道への入口を開けた。
 ここでルフィーは抜け道に逃げ込まず、久々の発声練習もかねて甲高い女の声で悲鳴をあげた。

「いやあああああああああああああっ!!」

「どうした! 何があった! 西石! ルフィー西石! 逃げるつもりだな!」

 刑事の口調が代わり、ドレッサー・ルームのドアが撃ち抜かれ、けり破られる。

「西石! どこだ!」

 化粧品の散乱する部屋の隅にうずくまる若い女が、倒された化粧台の裏にぽっかりと口を開けている黒い穴を震える指先で指し示した。

「そ、そこ……」

「くそ、逃げられたか! 応援を呼べ! ルフィー西石の出頭命令を指名手配に変更するよう本部へ要請するんだ!」

 刑事は抜け道から逃げていったはずのルフィー西石を捕らえるため、いまいましげに黒い穴に飛び込んだ。遅れて室内に駆け込んだもう一人の刑事は、持ち歩いている携帯電話で本部を呼び出し、先輩刑事の指示を伝えて自らも抜け道の入口に続いた。

 一人室内に取り残された女は、スカートの乱れを整えながら男の声で呟いた。

「……なんてこった。これでしばらくは事務所には戻れないな。VISは使用不能だし、とりあえず……中島えりかと連絡がとれるまでは、しばらく身を隠すしかないか」

 ひっくり返した化粧台の引出しからいくらかのタンス貯金を引っ張り出した「女」は、悠々と西石探偵事務所を後にした。

 

 

 


act.4-5;シャレにならない劇場にて
 雪はいつのまにか雨に変わり、桜のつぼみを濡らしている。
 桜の開花予報はここ数年の平均を下回る連日の寒さで少しだけ遅れているが、つぼみは日に日に大きく膨らみ、春を咲かせる日を待ちわびている。

 紫沢俊が洋上大学マスコミ学科に入学したのは去年の9月のことだ。より広く社会の真実を知るため、そして社会正義を貫くためにこの学科を志望した。
 一般教養と言われる専門知識以外を扱う科目が専門科目の中に吸収されて久しい。洋上大学の1年生は、入学後いきなり専門科目からはじめるわけだが、さまざまな技術や常識と言われるものが日進月歩の早さでめまぐるしく進化していく今日、教室だけで知ることができる知識はあまりに少ない。そのため実際にはAS局内外における現場での課外実習が重視される。

 活字メディアによるジャーナリズムは無論なくなってはいないが、速報性やごまかしのきかないリアルな報道を重視して、放送メディアによるジャーナリズムを目指す学生が年々増えている。
 その多くは在学中に現場での実習やADなどを経て、研究生になるまでに番組を実際に取り仕切る「ディレクター」を目指すが、製作の現場監督であるディレクターとして認められるまでになるには、相応の努力と、才と、運がなければならないといわれている。
 もちろん、ディレクターだけが放送メディアに必要なわけではない。キャメラ、照明、音声、編集、調査……等々、裏方と呼ばれるスタッフもまた重要である。実際にニュースを報じるアナウンサーも欠かせない。
 現場実習に出たばかりの1年生は、まだどの方向を目指すかといった選択は下していない。1年間の初年度実習の末に、自分に与えられた天分を見極め才能を活かせる領域を選び出すことになっている。懐かしい響きの言葉で言うなれば、進路決定までの短い「モラトリアム」の時間でもある。
 紫沢俊もまたモラトリアムの中にあった。

 将来このASの中でどういった領域を担っていくか、それを見いだすため先輩である新田アインワース雅文の下で現場実習に励んでいる……のだが、今日はその新田は取材で小笠原へ出張している。取り残された1年生である俊にとって、久しぶりに自由な時間が手に入った。

「さぁて、か・わ・い・い・娘はいないかなっ!?」

 と、あたりを見まわすのは、もうすっかり癖になっている。とにかく可愛い女の子と見れば声をかけてしまうナンパ魔の習慣のようなものといっていいだろう。
 しかし、無目的に誰彼かまわず声をかけてまわる普段の儀礼的なナンパとは、今日のナンパは訳が違う。今日のナンパのターゲットは今話題の有能ディレクター・根戸安香。俊よりも4つ年上だが、なかなか俊好みの上玉である。
 もちろん、安香とお知合いになることだけが彼の目的ではない。自分のペースでうまいこと彼女を口説き落して自分に惚れこませ、安香の新番組に出演して有名になり、さらによってくる可愛い女の子をナンパする……。

「ふっふっふ……完璧だ!」

 俊は紹介状代わりにと持たされた30本の大根をキャリアで背負い、最近やっと歩き慣れたASの局内のある場所を目指して一路突き進んだ。

 根戸安香は新番組の企画打ち合せに余念がなかった。
 兄・根戸宏の失踪は気がかりと言えば気がかりだが、続報を待つばかりの身の上である安香が兄のためにできることは何もない。
 ならば、亡き兄の遺志を継いで、花形ディレクターを目指すことこそが兄への弔いとなるはずだ。安香はそう判断した。

「ね? 絶対行けると思うのよねぇ☆」

 先日の三宅総研絡みの特番以降、兄・根戸宏のブレインだったジェーン壱代寺が根戸宏の後を継ぐものとして安香に鞍替えしてきていたため、ネタに困ることはなかった。
 社会派を自称してきた根戸宏と「感動」が看板になった安香の兄妹は、志向に少々の違いはあれど、事実をショーアップしその時点でもっとも受ける情報を捌く嗅覚にすぐれているという資質を天分として持っていた。一言で言えば「イロモノ」に走るタチだということである。
 ジェーンは、根戸兄妹のイロモノ感覚に敏感に反応したのである。

「それ、さいっこー! もうバッチグーですよ! それで行きましょう。ねっ?」

「そう思う? ね、やっぱりそう? うーん、ジェーンにそういって貰えるなら、もう怖いもんなんかないわよねぇ☆」

「さすが、根戸さんの妹! よっ! 天賦の才能たぁこのコトですねぇ☆」

「じゃ、異論はないわね!? 次の新番は『アーキペラゴ・ステーション・シャレに
ならない劇場』第一話は、オズの魔法使い。ブリキのきこり役をエ%・ヒ蹴。ミクiーG@ク伸E
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がね、『ドロシー、油が切れたみたいだよギチギチ』っていうの。もっ、サイコーで
しょぉ?」

(実はとてつもなくシャレにならないネタなので、ストーリーテラーの良心に基づき自主規制させていただきました^^;)

 ここに飛鳥龍児や新田アインワース雅文がいれば、きっと

「だー! ちょっとちょっと! そら本当にシャレになってまへんがな(^_^;)」

 と真っ青になって止めたであろうが、幸か不幸か飛鳥は20号に、新田は小笠原にと、それぞれ取材に出かけていたため、AS製作部に残された者たちだけで安香とジェーンを止めることは到底できなかった。
 昨年夏に急逝した先代のAS局長ならば、こういったシャレにならないイロモノ企画を視聴率のためだけに野放しにしてくれたのだが、現在局長代理を務めるAS理事会長は冒険とジョークをあまり解さない人物であり、こういった賭にも近い番組にあまりいい顔はしなかった。
 会議の場にいあわせた安香とジェーンを除いたすべての人間が、このあまりにもシャレにならない企画が局長代理の一存によって一蹴されるであろうことを予見したが、企画会議の盛り上がりに満足した安香には、企画が通るの通らないのといった細かいことはあまり問題ではなかった。

 企画会議室を出た安香は、大根30本を載せたキャリアを背負った吉田栄作のような少年に出迎えられた。

「はじめまして! 根戸安香先輩ですね!? 僕、新田さんとこの現場を手伝ってます、マスコミ学科1年の紫沢俊といいます!」

「は、はぁ!?」

 不意に見知らぬ少年に声をかけられた安香は、ほんの一瞬だけ心の隙を突かれたように驚いた。
 俊は、びっくり眼のままの安香と目をあわせた瞬間、こう思った。

(か、可愛い! 特番で見たときのフォーマルっぽい姿もいいが、この長めの髪を一房の三つ編みにまとめた姿もまた……いいっ! 何より、僕より背が低いのがいい!)

 だが、そう思ったのもつかのま。

「はっはーん、なるほど。白葉教授のお使いでしょ? そうよねぇ、学生に大根30本も持たせて歩く人って言ったら、この群島には白葉教授くらいしかいないもんねぇ。うちの兄もいろいろ貰ってたっていうし……で、この大根をあたしにどうしろと……はっ! もしや、こないだの報道特番のことで、あたしを恨んだり……いや、喜ばれこそ恨まれることなんかないわよねぇ。ああ、そうだわ。きっとこれは白葉教授が番組のお礼にって、あたしくださるつもりだったんだわ。やーねぇ、そんな気を使ってくれなくてもいいのにぃ」

 安香は大根の山を見て、自分の推理とコメントをとりまぜながら一方的にまくしたてた。
 俊は初対面の安香の口から止めどなく流れ続ける言葉の羅列に圧倒され、付け入るいとまを求めておろおろした。
 声をかけてからのリアクションは、これまでに俊がナンパをかけてきたどのタイプの女の子の対応にもあてはまらない。長いナンパ歴の中でも、ナンパに関して俊が得てきたナンパ必勝法などのマニュアルにも、こんなマシンガンのようにしゃべりまくる女の子の対応の仕方について書かれたものなどなかった。

「いや、あの……」

「でも、あたし一人では食べきれないし、今は兄さんもいないし……せっかくのいただきものを突き返しちゃうなんて無礼はできないし。ああ、そうだわ。キミ、少しもっていかない? あたしは1本でいいから、残りの29本はキミにあげる。よかったじゃなぁい☆ これで、しばらく大根には困らない優雅でリッチな生活よ(^_^)」

 安香のトーク・スピードが落ちることはなかった。俊が80byteしゃべる間に、安香はその256倍はしゃべっているのではないかと思われるほどだ。その早さは黒柳徹子かダン・エイクロイドかというくらいの凄まじさである。
 だが、これでは埓があかない。
 俊は一気にケリをつけようと決めセリフを口にした。一瞬、いつもの口癖が出かかったが、言葉の続きを無理矢理飲み込んで今日、口にすべきセリフを叫んだ。

「お茶……いや、先輩の番組に僕を使ってもらえませんか!」

 安香は再びきょとんとした顔で俊を見上げた。俊は167センチ。決して背が高い方ではないが、162センチと俊よりも低い上にデッキシューズを愛用する安香の視点は、俊よりも十分に低かった。

「じゃ、今度やる新番組にきてくれない? あなたみたいな人を待ってたのよ! 新田さんにはあたしから話しておくから、番組の企画が通ったら、すぐにあたしの所にきてね」

 かくして、根戸安香の企画「ASシャレにならない劇場」は、安香にとっては予想外に、周囲にとっては安堵のうちに没になった。安香は(彼女にとっては)ずいぶんと長い間ぶちぶちと愚痴を垂れていたが、さらなる新番組の企画に取り組むうちに、「ASシャレにならない劇場」の企画についてはすっかり忘れてしまったようだった。

 後に紫沢俊はASシャレにならない劇場の企画内容を聞かされて肝を潰し、「没になってくれていてよかった」と心の底からの安堵を漏らしたという。

 

 

 


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(c)1992楠原笑美.