ACT1-01;9/27 群島上空



『本日は、当機を御利用頂き、誠にありがとうございます。当機は間もなく、成田空
港へ到着いたします。ただいまより当機は着陸体勢に入りますので、お客様はシート
ベルトの着用をお願いいたします。なお、着陸まで機内は禁煙となっております。御
了承ください。……当機は間もなく、成田空港へ到着いたします』

 聞き慣れた機内アナウンスは、金居裕三教授の右耳に入り、左耳から抜けていった。
 金居教授は、東京洋上大学における生物工学の第一人者であると同時に、バイオス
フィアJ−II計画の主幹の一人でもある。彼は先日までペルーで、「砂漠における麻
の栽培」研究を行なっていたが、それもようやく終り、久々に群島へ帰ることになっ
た。
 ……但し、離日した時と違い、一人で帰ってきた訳ではなかった。
 金居教授の腕の中では……生まれたばかりらしい乳児が、すやすやと眠っていた。
肌の色から見て、日本人と有色人種の混血児であろう。
 彼の隣のシートには、少し大柄なワンレン美女が座っていた。肌の色が、赤ん坊よ
りもう少し濃い褐色である。母親なのであろうか。
 そんな彼女が、金居教授に日本語で話しかけた。

「やはり、目許が教授にそっくりですわね!」
「ん? ヴィント助教授はそう思うのかね?」

 金居教授にそう応えられたこの女性、その名をヴィル・ヴェル・ヴィントという。
三宅総研(MIL)に所属している助教授の彼女は、金居教授の抱いている赤子の母
親でも、教授の妻でもなく…………実は、群島一の奇才・三宅準一郎教授の妻である。
 だが、つい先程偶然空港で知人の金居教授と出会い、1年ぶりに群島に戻る理由を
聞かれたところ、

「素晴らしい発明を行ないましたので、誰に見せびらかしてやろうかと考えていたら、
準一郎という夫がいることを思いだしたんですのよ。それで、私の発明を見た準一郎
の悔しがる顔をどうしても見たくなりましたので、慌てて飛行機のチケットを買った
んですの☆」

 と言い放ち、「お〜ほほほほほほほほほほほっ!」と高笑いしたという、とんでも
ない女性である。もっとも、こんな女性だからこそ三宅教授の妻としてやっていける
のかもしれない。事実、「ヴェント助教授には13人のダミーがいる」という噂も、
まことしやかにささやかれているのである(^^;)。

「いやあ、ペルーで現地の女性をはらませてしまってな、結局帰国寸前に、この子を
押しつけられてしまったよ」

 がはははははと、苦笑混じりの高笑いを機内中に響かせる金居。そんな彼に渡され
た赤ん坊を抱きながら、ヴィント助教授は尋ねた。

「それで、この子はどうなさるおつもり?」
「育てるしかあるまい?」

 という簡潔な答えの後に、金居の愚痴が続いた。

「それにしても、再び男手一つで子供を育てねばならぬとは、つくづく面倒なことに
なったものだ。祐子を育てた時も、どれほど大変だったことか……」

 そう言うと、彼は我が子の頭を撫でるフリをして、ヴェントの豊満な胸をわし掴み
にした。これに対しヴェントは、高笑いと共に金居の肩を思いきりはたきながら応え
た。

「でも祐子ちゃんは、実際には白葉教授が男手一つで育てたと聞いておりますわ☆ 
日本語はもっと正しく使わなければいけませんことよ! お〜ほほほほほほほほほほ
ほほほほほほほほっ!」


                   ☆


 ……二人の掛け合い漫才をBGMにして、飛行機は成田の滑走路に着陸した。
 この直後、群島中が未曾有の大パニックに陥ることを、この時点ではまだ誰も知ら
なかった……。




ACT1-02;10/1 公営住宅


 この日は、夕方からにわか雨が降り始めた。
 中嶋千尋はピンク地に白い水玉模様の雨傘をさし、鼻歌混じりで公営住宅へ向けて
歩いていた。同居中の洋上大学農業工学科教授・白葉透が、久々に早く帰ってくると
言うので、酒や食料を大量に買い出してきたのだ。

「早く帰って、お料理作らなくちゃ(^_^)」

 雨天にもかかわらずニコニコ顔の千尋だったが、その表情が怪訝そうなものに変わっ
たのは、彼女の住むA棟の前に、屋根付きの乳母車を見つけた時であった。

「雨が降ってるのに、どうしてこんな所に置きっぱなしに……?」

 小走りに駆けよってみると、乳母車の中には、か細い声で泣いている乳児と、一枚
の紙が。

          『誰か、拾ってください。お願いです』

 紙にはただ一言、そう書いてあった。

「……捨て子!?(・_・;)」

 千尋は驚きのあまり、傘を落としそうになった。
 なんとか傘を持ち直して、千尋は赤ん坊の顔を覗きこんでみる。小猫のような声で
泣く赤ん坊を見ているうちに、千尋の心の中に、群島に来たばかりの自分の姿がオー
バーラップした。
 雨の中、行くあてもなく、捨てられた猫のように、途方にくれて濡れそぼっていた、
あの日の自分…………。
 そんな回想が、千尋の決心を助けた。

「……ちょっと待ってね」

 千尋は公営住宅の入口の雨避けの下に荷物を置くと、再び乳母車に戻って、中の赤
ん坊を慎重に抱き上げた。
 赤ん坊は、千尋に抱かれた途端に泣くのをやめた。抱き上げた千尋の胸の鼓動を聞
いて、安心したのだろうか。

「よしよし、もう大丈夫よ。今から暖かい所に連れていってあげるからね(^_^)」

 千尋は、とりあえず赤ん坊を家に連れていく事にした。きっと「透さん」なら、自
分の行動を許してくれるだろう。



 部屋の鍵は、既に開いていた。もう白葉教授が帰ってきているのであろう。

「ただいま。あのね透さん……」
「おお千尋くん、帰ってきたか。実はだね……」

 玄関先まで出迎えた白葉も、部屋の中に入ろうとした千尋も、途中まで発しかけた
言葉を飲みこんでしまった。
 白葉の腕の中には……千尋と同じ様に、小さい赤ん坊が抱かれていた。
 動作まで止まってしまう千尋と白葉。二人は互いの赤ん坊を差しながら、同時に声
を上げた。

「………………あっ!(・_・;)」




ACT1-03;10/1 公営住宅


 自室のドアを開けた広田秋野の目に飛びこんできたのは、そんな二人の混乱してい
る光景であった。
 それを見て瞬時に顔を青ざめさせた広田は、二人に気付かれないように、大急ぎで
ドアを閉めた。ついでに鍵まで掛けてしまう。
 一挙に倍になった心拍数をおさめるため、ゼエゼエと肩で息する広田。彼は思い詰
めたような声で一言。

「……だめだ。白葉教授にも、千尋さんにも、絶対に言えない!(__;)」

 広田のベッドの中では、彼が先程拾った捨て子が、健やかな寝息を立てていた。
 ……しかし、このような事態は、彼らの身の上にだけ降りかかったことではなかっ
た。




ACT1-04;10/2 ゼロワンSTAFF


「ごめんくださぁーい、宅急便でーす!」

 ドアの外からの声に中川克巳は応えることが出来なかった。運悪く、トイレに入っ
ていたのである。

「おーい、誰でもいいから出てくれー!」

 中川はそうトイレの中から避けんだが、運悪くこの日はスパイもオフィコンも、み
んな佐々木建設やまぐまぐバーガーに出払っていた。
 ……だが、一人だけ、いや一匹だけ残っていた。ゼロワンSTAFFで最も「でき
る奴」という噂すらある(^^;)、猿のアインシュタインである。
 アインシュタインはタンスから印鑑を取りだし、玄関の鍵を開け、渡された預かり
証にはんこを押す、そこまでの作業を一匹でこなした。

「ありあとやんしたぁー!」

 宅急便の男が逃げるようにしてゼロワンSTAFFを去っていった後、中川はよう
やくトイレから出てきた。

「何食べたのがいけなかったんだろうなぁ……なんだ、お前が出たのか」

 彼の足元のアインシュタインは一生懸命報告をするのだが、中川には当然の事なが
らウキキウキキ言っているようにしか聞こえない。彼はアインシュタインを無視して、
玄関先に置かれた小包を手にとってみた。

「ん? 宛て名がないな。何かヤバイもんじゃねーだろうな?」

 そう言いながらも、中川は無造作に箱を開け、中を覗いてみた。
 最初彼が内容物を見て思ったのは、

(赤ん坊の人形か?)

 ということであった。しかしそれも、長いことではなかった。何せ「それ」は、実
際に泣き声を上げ始めたのだから。

「……本物のガキか、これ!?(・_・;)」

 中川は今まで、非常識なものをたくさん見てきた。少なくとも今までは、自分でそ
う思っていた。しかし、この「赤ん坊の小包」は、それらに輪をかけて非常識だった。

「うーむ、まだまだ世界は広い……」

 想像したこともなかった届け物に、逆に冷静になってしまった中川は、腕を組んで
一人うなずいた。事態をよく飲み込んでいなかったが、アインシュタインも社長をま
ねしてうなずいてみた。
 そこへ現れたのは……

「おお中川くん、まじめに仕事をしとるかね! 今日はいい酒が入ったんでな、俊介
に五平餅を作らせて陣中見舞に来てやったぞ! がっはっは」

 今日は非番のはずの巽進一朗と、彼に引きずられてやって来たらしい、五平餅の包
みを持った『こうじや』の坂井俊介である。
 坂井の姿を見つけた中川は突然、ある可能性に思い当たった。

(まさか、この赤ん坊は味噌屋が……!)

 坂井がこの赤ん坊を送りつけてきたのかもしれないと、理由もなく思い始めたのだ。
そうと決まったワケでもないのに、中川の脳裏にはふつふつと怒りが込み上げてくる。
彼は感情に身を任せて、赤ん坊を突きだして坂井を問いただした。

「これはあんたの新手の嫌がらせかっ!」

 それを見た坂井の顔に驚きの表情が浮かんだが、次第にそれは、呆れたような表情
に取ってかわられた。そして、冷たい視線を中川に投じて一言。

「……誰に産ませた子供です?」
「な、なに?」

 不意討ちをくらい、中川の表情から険が取れる。そして思わず問い返す。何で宅配
で送られてきたガキが、俺の子供じゃなきゃならねーんだ?

「あなたと付きあっていた女性が、匿名で送りつけてきたんじゃないんですか?」

 坂井の答えは、更に酷薄であった。考えてみれば、坂井の言葉は中川の予想よりは
るかにリアリティがある(^^;)。

(ま、まさか…………!?)

 恐らくこの子は自分の子ではない。だが、「恐らく」と付けなければならない限り、
胸を張って味噌屋に反論することは難しい……中川の悩みは深かった。
 それでもなんとか、坂井に反論を試みようと口を開きかけたその時。

「克っちゃん、見て見てー☆」

 オフィコンのユッコこと篠田幸子が、赤ん坊を抱いてゼロワンSTAFFに飛びこ
んできた。
 ……絶妙のタイミングであったといえよう。

「なんだ中川くん、ちゃんと責任が取れるのかね!?」

 渋い顔をする巽。実は幸子の抱いていた子供も捨て子だったのだが、どうやら巽は
幸子が中川の子供を産んだと勘違いしたらしい。

「ち、違う! 俺はやましいことなんか、何もやってねーぞ!(__;)」

 やっとまともに中川が反論したのは、同じくオフィコンの靜香や亜由美が「見て見
てー(^_^)」と言いながら赤ん坊と共にやってくる直前であった。


                   ☆


「私はね、呆れましたよ(ー"ー)」

 オフィコンと赤ん坊に占領された部屋の中、坂井は怒りに満ちた言葉を、へたり込
む中川にぶつけた。
 そこら辺を這ったり泣いたりする赤ん坊と、それを見てキャーキャー歓声を上げて
いるオフィコン・ギャル。中川にとっては、信じられない光景であった。

「お、俺は、ここまでヘマはしてねーはずだぞ!」

「ヘマをしてない」とは、避妊のことであろうか(^^;)。しかし坂井は中川の言葉を、

「あー、そうですか(ー"ー)」

 と言って、まるで相手にしない。

「そう怒らずに、俺を信用してくれよぉ。本当に俺のガキじゃないんだってば(^^;)」
「あなたの何を信用すればいいんです?」
「ほ、ほら、言うじゃねーか、『信じるものは救われる』ってさあ」
「時と場合と相手によりますよ。それにそんな言葉を無条件に信じるほど、ワタシは
お人好しじゃありません」

 坂井の言葉はまったくの誤解に基づくものなのだが、これは中川の日頃の行ないの
結果ともいえるだろう。

「ふん、辰樹はどんな時ももっと堂々としておったぞ」

 とは、一人で『こうじや』の五平餅をぱくついている巽の言葉である。
 中川にとっては四面楚歌の状況の中、遂に、救いの女神の声が彼の耳に届いた。

「たっだいまー!」

 妻の中川真奈美である。高校から帰ってきたのだろう。
 中川の顔が、呆れるほどに明るくなっていく。きっと真奈美なら、この状況を打破
してくれる。俺の無実を証明してくれる! そう思ったのだろう。真奈美まで中川の
ことを誤解する可能性については考えもしなかったが、真奈美登場が引き起こした結
果は、そのような範囲のものではなかった。

「真奈美! このおっさんたちになんとか説明してくれよぉ! 実は……」
「ホラ克っちゃん、赤ちゃんだよー☆」

 中川と坂井の表情が凍りつく。真奈美が抱いていたのは、おしゃぶりまでくわえた
乳児であった。御丁寧に、真奈美と一緒にやって来た白葉衿霞まで赤ん坊付きである。
 坂井はうつむいた。肩がわずかにワナワナと震えている。真実がどうであろうと、
もはや弁解できる域を超えてしまったことを、坂井を見た中川は自覚せざるを得なかっ
た。
 それでも中川は最後の「言い逃れ」を試みた。

「い、いや、だから違うんだ。俺はあんたが考えてるようなやましいことは、天に誓っ
て……」
「ほぉぉ、やるもんじゃなあ。生娘の真奈美くんにまで手を出しておったとは!」

 ……巽の感嘆が決定打だった。坂井の堪忍袋の緒が「ぶっちーん」と派手に弾け飛
んだ音は、中川にも聞こえた。
 坂井は顔を上げた。鬼の形相であった。

「…………あんたってひとはぁぁぁぁぁっ!!(ー_ーメ)」
「俺じゃねーっていっとろうがっ!(T_T)」

「にゃ? 克っちゃんってば何怒られてんだろ?」
「さあ? また坂井はんをからかったんとちゃいますのん?」

 拾ってきた赤ん坊をあやしながら話す真奈美と衿霞。中川の身に降りかかった「災
難」を彼女達に理解しろと言っても、無理な話であろう(^^;)。




ACT1-05;10/2 こうじや


「まあ、そう怒るな。辰樹が中川くんのような性格でなかったら、真奈美くんは産ま
れとらんかったんじゃぞ」

 怒りの収まらない坂井を追う巽の言葉は、真実を理解していない上に全然フォロー
になっていなかった(^^;)。
 数時間に及ぶ大説教を中川に対して繰り広げた坂井であったが、まだ説教し足りな
いらしく、虚空に向かってブツブツと文句を言っている。こんな状態であるからして、

『出産には10ヶ月を要する』

 というヒトの大前提と、

『中川と真奈美が知りあってから、まだ半年も経っていない』

 という事実には、坂井はまったく思い至っていない(^^;)。

「もっと彼には、言って聞かせる必要がありますね……(ー"ー)」

『こうじや』に戻ってきた坂井は、そう言いながら鍵を懐から取りだし、施錠を解こ
うとした。
 だが、不思議なことに扉の鍵は最初から開いていた。

「鍵を閉め忘れましたかね?」

 首をひねりながら店内に入る坂井に巽は続こうとした。だが、巽が店内に入ろうと
したその瞬間、坂井が背中から彼に倒れかかってきた。

「やっ、どうした俊介!?」

 慌てて坂井を支える巽が店内に見たものは……バスケットの中で元気に泣いている
赤ん坊であった。

「…………(・_・;)」

 さすがに目を丸くした巽を振り向いて、坂井は弱々しい声で言った。

「いやあ、私にも子供ができちゃいましたよ、はははは……」

 そしてそのまま気絶するのであった。合掌。




ACT1-06;10/2 公営住宅


 相変わらずの重労働をこなして公営住宅に帰ってきた時、富吉直行は自室内に気配
を感じた。元から彼の住んでいた三畳間ではなく、以前「ルフィーア」の住んでいた
2DKの部屋の方だ。
 富吉は戦慄に近い興奮を覚えた。

(まさか…………ルフィーアが帰ってきた!?)

 富吉にはまぶしすぎて、一度も顔をまともに見ることの出来なかったルフィーア。
 彼に恋心だけ残して、瞬く間に彼の前から去っていったルフィーア。
 そんなルフィーアが、彼の前に戻ってきてくれたのかと、富吉は願望に近い予想を
したのだ。
 それでもいっぱしの探偵らしく、不法侵入者の存在の可能性も考えて、彼は慎重に
ドアを開けた。
 旧ルフィーア宅には確かに人がいた。……しかしそれは、ルフィーア本人ではなかっ
た。
 マシュマロのような、フワフワした、真っ白な肌の女の赤ちゃん……が、部屋の中
央に、バスケットの中で眠っていた。

「あかんぼう……(・_・;)」

 少し玄関先で立ちすくんだ後、富吉はバスケットの元にひざまずいた。バスケット
の中を覗くと、目を覚ました赤ん坊は彼を恐がりもせず、うれしそうに笑いかけた。
 富吉の顔に、慈愛と哀愁の表情が浮かぶ。

「……ルフィーアに似ている」

 これは、未だ再会のかなわないルフィーアの、俺への贈りものなのだろうか。ワケ
あって俺と会うことのできないでいるルフィーアが、自分の代わりに置いていってく
れた女の子なのだろうか……。

 富吉は赤ん坊を抱き上げてみる。少しでも力を入れたら壊れてしまう、繊細な硝子
細工を扱っているかのように。
 彼女は手を差しのべると、富吉の頬をゆっくり撫でた。

「……目許が、俺に似てるな(^_^)」

 赤ん坊の仕草に微笑む富吉。彼は覚えているだろうか、自分がルフィーアに触れる
ことはおろか、まともに顔を見ることすらなかったことを……(^^;)。




ACT1-07;10/3 広川庵人宅


 玄関の呼び鈴が鳴った時、ミハイル・ケッセルはワケもなく、妙な胸騒ぎを感じた。

「はい、どちらさん?」
『申し訳ありません、ペンギン便の者ですが……』

 インターホン越しの男の声に、ミハイルの顔つきがサッと険しくなった。

(まさか…………!)

 彼の脳裏に、忌まわしい過去がよみがえる。
 思えばあの日下部真奈美(現在は中川真奈美)救出作戦の時、彼がDGSの手の者
に気絶させられて部屋中の電子機器をオシャカにされ、仲間である広川庵人が窮地に
追いこまれることになってしまったのは……ミハイルが不用心にも、「ペンギン便の
者」と名乗る男をまったく疑わずに応対したからであった。
 玄関前を映しているカメラは、その時と同じように、小包を持った男の姿を捕らえ
ていた。

「何の用だ?」

 ミハイルの無愛想な質問に、ドアの向こうの男は少しひるんだようだが、そんなこ
とは彼の知ったことではなかった。

(今度こそ、騙されるものか……!)

 彼は、過去の失敗を教訓としていたのだ。
 外の男は、おずおずとミハイルの問いに答えた。

「あ、あのぉ……小包をお届けにあがったんですが(^^;)」

 ミハイルはそれを聞くと、黙ってドアチェーンをかけ、ドアを開けた。当然の事な
がら、ドアは手を通せるほどしか開かない。

「そ、それでは小包を中に入れられないんですけど(^^;)」
「かまわん」

 彼の言葉はにべもなかった。

「荷物はそこに置いていけ(ー"ー)」
「(^^;) えーと、それではこれが預かり証になります。ここんところにサインだけ
してもらえますか」

 そう言って、男は預かり証とボールペンをドアの隙間からミハイルに差し出した。
するとミハイルはドアから充分に距離を取り、不意の事態にも間違いなく対応できる
よう、絶えず注意しながらペンを受け取り証に走らせた。

「……」

 そして、無言で受け取り証を隙間から外に突きだす。

「た、確かに受け取りました。……えー、小包は……」
「何でもいいから、そこに置いて早く立ち去れ!(ー"ー)」

 ミハイルの怒号を浴び、男は挨拶もそこそこに立ち去っていった。
 人の気配がなくなるのを待って、ミハイルはようやくドアをまともに開く。ドアの
そばには果たして、厳重に梱包されたダンボール箱が置かれていた。

「本当に、ただの小包なのか……?」

 彼は慎重に、箱を室内に運びこむ。その後、箱を軽く振ってみた。

「…………時限爆弾などでは、なさそうだな」

 それでもなお油断せず、ミハイルはジャックナイフを取りだし、注意深く梱包を解
いた。
 何が飛びだしてきてもいいように身構えて、彼は静かに箱を開けた。すると、中に
入っていたのは……。

「ほぎゃあ、ほぎゃあ、ほぎゃあ……」
「………………えっ!?(・_・;)」

 何が出てきても、ミハイルは驚かないつもりであった。しかし、箱の中から出てき
たのは、なんと赤ん坊であった。

「な、なー、な、な……!?」

 箱の中の赤ん坊は、ミハイルを驚かせ、うろたえさせることに成功した。
 とにかく箱から赤ん坊を取りだしたはいいが、その後取ればいい行動を、彼は何も
思いつくことが出来なかった。

「ア、アンディになんて説明すればいいんだ、こんなの……?」

 彼が途方にくれていると、玄関のドアが景気よく開いた。家主の広川庵人が帰って
きたのだ。その腕の中には……やはり赤ん坊が。広川は勢いよく、ミハイルに言い放っ
た。

「マイケル、取材に行くぞ! 子供不足のこの時代に集団捨て子なんて、ちょっとし
たニュースだぜ!」
「…………えー(;_;)」

 ミハイルは我知らず泣きそうな顔をしながら、広川の顔を見つめるのであった。




ACT1-08;10/3 レジャーランドSNS


「誰よまったく! 捨て子だなんて何考えてるのかしら?(ー"ー)」

 憤然としながら、SNS店長シータ・ラムは捨て子を拾って、職場へ出勤した。
 ……そして、職場の人間のほとんどが自分と同じ状態であるのを目の当たりにして、
目を丸くした。
 プールへ行っても、銭湯へ行っても、トレーニングジムへ行っても、カフェテラス
へ行っても、ビアガーデンへ行っても……店内は赤ん坊であふれかえっていた。客の
入りはいつもよりはるかに多いのだが、赤ん坊を抱いた客に、赤ん坊を背負ったウェ
イターが注文を取っている光景がそこかしこで見られるという状況は、異様の一言に
尽きる。赤ん坊に気を取られて店員の仕事の能率が落ちているところへ、慣れない育
児に疲れた人達が大挙押し寄せてきているのだ。しかも、二言目には「哺乳びんでミ
ルクもらえますか?」である。ミルク、哺乳びんの調達のために、相当な数の店員が
割かれてしまい、すでに店内の状況は、店員達の処理能力を超えかけていた。

「な……なんなの、こんな時間にこのパニック寸前の状況は!?(・_・;)」

 赤ん坊だらけのビアガーデンの前で立ちつくすラムに、ウェイターの一人がとても
あせった声で報告した。

「やっと来てくれましたか店長! 実は、コック長の渡辺さんが突然有給取っちゃい
ました!」
「……渡辺さんが?(・_・;)」

 どんな注文にも完璧に対応する優秀なSNSコック陣のまとめ役、実質的な発言力
は雇われ店長ラムよりも強いとまで言われているSNSの大黒柱。それが「コック長
の渡辺さん」である。
 彼一人の働きは、「普通の」優秀なコックの5人分とまで言われているが……そん
な彼が、今日は出勤日だというのに来ていない。

「だから、こんなに混乱してるんだ……。どうして、あのまじめな渡辺さんがそんな
休み方を?」
「それが……『本当に申しわけない。今日だけは勘弁してくれ』って、泣きそうな顔
でヴィジホン掛けてきたもんで、何も聞き出せなくて……多分、渡辺さんも赤ん坊拾っ
て、パニックに陥ってるんじゃないでしょうか?」
「…………何でこんなに捨て子だらけなの?(__;)」

 思わずラムは、誰も答えるはずのない問いを口にした。どうやら調理のプロは、育
児のプロではないらしい。ほとんど休んだことのない渡辺が、そうヴィジホンを掛け
てくるのだ。彼は本当にパニック状態なのであろう。
 となると、この日のSNSの処理能力は、普段の半分以下に落ち込んだと考えても
差し支えない。

「と、とにかく、代わりに非番のコックの人を大至急呼んで! それまでは、ウェイ
ターも調理に協力してちょうだい! それから……三日月くん! 悪いけど、こっち
を手伝ってくれない!?」

 大慌てで指示を下す傍ら、ラムはビアガーデンの一角に占いコーナーを開いている
「雇われ副店長」三日月迅に援助を要請した。
 ……しかし、三日月は三日月で、目の回るような忙しさだったのだ。

「こんな赤ん坊を抱えて、私はどうすればいいんでしょう!?」

 という、「突然親になってしまった人」達が殺到しているのだ。しかも、三日月自
身も赤ん坊を背負っており、精神集中が難しくて四苦八苦しているようだ。

「すいませんラムさん! 今日は手が離せそうにありません!」

 ほとんど悲鳴のような声で、三日月は店長に謝った。

「しかたない……ワタシも今日は本格的にウェイトレスやらないと(・_・;)」

 ため息をつき、ラムは気を取り直して猛然と働き始める。SNSの混乱は、まだま
だ収まる気配を見せない……。




ACT1-09;10/3 聖の隠れ家


「なんでこんな所に赤ん坊がいるんだ!?」

 隠れ家にやって来たライディングナイト・聖武士が驚いたのも無理はない。彼の相
棒ともいえるGT40のボンネットの上に、赤ん坊がちんまりと座っていたのだから。

「誰も、こんな所に隠れ家があることなんか知らねーはずなのに……(・_・;)」

 おっかなびっくり赤ん坊を抱きながら、聖は首をひねる。ここを知っているのはオ
レかラムか……。

「……ラム?」

 聖は、いつも小うるさいパートナーの事を思い出した。この赤ん坊は、ラムが置い
ていったものかもしれないと思い始めたのだ。この隠れ家を聖とラム以外に知ってい
る者がほとんどいないのだから、当然であるといえよう。だが、そこから先がいけな
い。

「ひょっとして、ラムが産んだんじゃねーだろうな!?」

 そんな事実はまるでないのだが(^^;)、まだ集団捨て子騒動を気にも留めていなかっ
た聖には、そうとしか考えられなかったようだ。別にラムに恋をしている訳でもない
のに、彼の顔に憮然とした表情が浮かぶ。聖は、この赤子の父親が誰かという方向に、
思考を進め始めた。


                   ☆


 聖がSNSを訪れたのは、翌日の午前1時であった。自宅にもMILにもいなけれ
ば、ラムがいるであろう場所はここしかない。彼は脇目も振らず、ラムのいるはずの
ビアガーデンに向かった。
 ……ビアガーデンは満席だった。育児に疲れた人達の数は更に増え、眠い目をこす
りながら赤ん坊をあやす人達の姿があちこちで見受けられた。
 だが、そんなことは聖には関係ない。彼は、ここの店長を問い正すために来たのだ。

「ラム、いるか!」
「いらっしゃ……なんだ、武士か」

 厨房から出てきたラムの目は、疲労で血走っていた。一瞬の内に営業スマイルの消
えた彼女の、その鬼気迫る視線が聖を一瞬たじろがせたが、かまわず彼は赤ん坊を突
き出し、質問をぶつけた。

「おいっ、こいつはお前と広田の子か!?」

 言い終えてから、ラムにお盆で力一杯殴られるまで、1秒ほどしかかからなかった。

「この忙しい時に、そんな馬鹿なこと聞きに来たのアンタは!?(ー_ーメ)」

 哀れな聖を、ラムは振り返りもせずに厨房へ戻っていった。




ACT1-10;WDCビル


「さあて、どげんしたもんじゃあ……?(__;)」

 366ビル7階にあるWDCの社長夜木直樹は、今朝事務所の前に捨てられた赤ん
坊の前で頭を抱えていた。
 単なる捨て子と思いたがったが、御丁寧に『夜木直樹さまへ』と書かれてしまって
は、自分に押しつけられた子だと納得するしかない。
 夜木は好色ではないが、潔癖でもない。叩けば出てくるほこりも少なくはない。
 だから、この赤ん坊が自分の子だと言われると、母親の心当たりの2、3人は出て
くる。

(本当にこのガキ、わしのガキなんか?)

 自分も疑わざるを得なくなる。

「結構大変ですね(^^;)」

 ひとごとのように同情する三輪祝詞だったが、この後自宅に帰ってからドアの前の
赤ん坊に目を白黒させることになるとは、この時点では想像もできなかった(かわい
そーに(^^;))
 その時、このビルのオーナー榊原良子と、新米探偵玉乃宙実が事務所に飛びこんで
きた。声をそろえて言うことが、

「見て見て、私の赤ちゃん!(^_^)」
「……いくらなんでも、わしゃ、おんしらにゃしこんどらんぜよ!」

 驚いた夜木の口からとっさに出た言葉に、二人の女性は「はぁ?(^^;)」としか応え
られなかった。




ACT1-11;10/4 まぐまぐバーガー


 まぐまぐバーガーは、一種異様な空間になっていた。
わざとらしく広げた新聞の影から店内を観察する、目、目、目……。
そしてそうした探偵たちと相席を余儀なくされた好奇心いっぱい、野次馬根性丸だ
しの女子高校生や女子中学生。
 最近では珍しくない光景にもみえるが、ただ一つ以前と違う点があった。
 ……彼らはみんな、赤ん坊を連れていたのである。
 小さい赤ん坊は抱き、月齢の割と高い赤ん坊は背負い、慣れない手つきであやしな
がら、彼らはそれでも店内を目で探っていた。
 そんな店内を、店長の高梨稟は、自宅に送りつけられた乳飲み児を抱きながら茫然
と見つめていた。
 彼女の横では、バイトの小泉六甲がイスに座って、

「膝に座られるのは初めてじゃけえ……(・_・;)」

 と、膝の上で赤ん坊を眠らせて困っていた。
 カウンターでは、白葉衿霞が

「おいでやすー。何にしまひょ?(^_^)」

 などとにこやかに客の応対をしている。彼女も背中に赤ん坊を背負っているのだが、
どうやら馴染んでしまったらしい。
 あまりにもシュールな状況に稟がおじけづいていると、彼女の腕の中の赤ん坊が泣
き始めた。すると、それに呼応して店内の他の赤ん坊も盛大に泣き出した。
 これにうろたえたのは稟だけではない。店に居合わせたほぼ全員が、育児経験はな
いのだ。特に男は、赤子に泣かれてしまうとオロオロする以外にはどうしようもなかっ
た。

「お、おい、こういう時はどうするんだ!?」
「『高い高い』すれば収まるんじゃないか?」
「ほら、たかいたかーい \(^_\)(/_^)/ ……泣きやまないぞ、おい!(・_・;)」
「じゃ、じゃあさ、じゃあさ、おなかががすいてるんじゃないの?」
「となると……ミルクか!」

 ……といった、赤の他人同士の真剣な討議の末、カウンターには、

「ホットミルク一つ!」

 という客が殺到した。まぐまぐ側は店員・バイト総動員でこれに対応したが、数分
と経たないうちに、店内にストックされていたミルクは底をついてしまった。
 そこで「ミルク売り切れ」の札を出したところ、約半数の客が、ミルクを求めてま
ぐまぐバーガーを去っていった。
 さらに、

「……しまった、ストローじゃ飲んでくれない!」
「哺乳びんがいるのか!?」
「あーっ、おしっこもらしてる!」
「おむつ買ってこなきゃ!」

 などといった具合で、稟の赤ん坊が泣き始めてから30分と経たないうちに、店内
の客はほとんどいなくなってしまった。
 人気の一気に少なくなった店内を眺めて、稟は必死になって自分に言い聞かせた。

(こ、こんな事で私がうろたえたら……いい笑いものだわ。こんなこと、大して珍し
いことじゃないのに、オロオロしたって私らしくないわ。しっかりなさい、稟。あな
たがそんなことでは、バイトのみんなが不安がるじゃないの)

 …………錯乱しているため、今起こった出来事が充分「大して珍しいこと」である
のに気付かない(^^;)。
 そして、今の混乱を引き起こした稟の赤ん坊は、とっくの昔に眠りに落ちていた。

「わ、私は気丈な女なのよ……」

 半分放心状態の稟の呟きが、店内に響き渡る。




ACT1-12;10/4 根戸安香宅


「うーん、さすがに群島は小笠原とは違うわねえ(^_^)」

 数ヶ月ぶりに自宅に帰ってきた根戸安香の第一声である。彼女はたった今、小笠原
諸島から戻ってきたのである。

(まずシャワーを浴びて、簡単に後片付けをして……それからASに顔を出してみよ
うかな?)

 色々これからの行動を考えながら服を脱ごうとする安香だったが、呼び鈴が鳴った
ので再び服を着直して、パタパタと玄関へ向かった。
 ドアから姿を表したのは、安香宅の右隣の家のおばさんであった。

「安香ちゃんお帰りなさい。ところで、安香ちゃんがいない間に小包を受け取っちゃっ
てねえ、ずっとうちで預かってたのよぉ!」

 本当は安香が帰ってくる直前に預かったのだが、お茶目なおばさんはありがたみを
増してやろうとしたのだ。

「ありがとーございますぅ(^_^)」

 お礼を言っておばさんと別れた後、安香は早速小包を開けてみた。
 そして……赤ちゃんと対面を果たした(^^;)。


                   ☆


「小包に赤ちゃんとはまた……非常識ねぇ」

 自分の制作している『ASシャレにならない劇場』のことを棚に上げて、安香は呟
いた。とりあえず警察に届けるべきか、それともASで尋ね人のコーナーでもやって
親を捜すか、腕を組んで思案を巡らせる。ヴィジホンがかかってきたのは、そんな時
だった。

「はい、根戸で……うわっ!?」

 最初にヴィジホンの画面に現れたのは、赤ん坊の泣き顔のどアップであった。

「やぁーい、驚いた驚いた!(^_^)」
「……じぇぇーん!(^^;)」

 赤ん坊の後ろから、『企画承り業』のジェーン・壱代寺の笑顔が現れた。

『あたしが拾った捨て子、かあいーでしょー(^_^)』
「ジェーンも捨て子拾ったの?」
『あたしだけじゃないわよ。今群島は、集団捨て子事件が起こって大変なんだから!』
「……あたしがいない間にそんなことがあったのぉ!? もっと早く帰ってきてれば
なあ〜〜(__;)」
『だいじょぶだいじょぶ、まだ誰も手を付けてないわ』
「ホント!?」

 ……以上の、たたみかけるような会話の後、安香とジェーンは一つの結論にたどり
着いた。


         「これは、特番にするしかないっっっ!!」




ACT1-13;10/4 ナサティーン宅


「あ、お湯が沸騰したわね。……ヤラン、やかんの火を止めてきて」
「ほ〜い」

 ナサティーン姉妹の家の中では、シーラ・ナサティーンとヤラン・ナサティーンが
悪戦苦闘していた。
 シーラ達は、姉妹の数と同じ6人の赤ん坊をたった二人で面倒見ていたのだ。
 一人の赤ん坊には最低でも一人の大人がついて、常に世話をする必要があるという。
しかるに、彼女達は一人で3人もの赤ん坊を世話していた。だから、他のことなどやっ
ている暇がない。まさに、てんてこまいである。
 必死に赤ん坊たちのおしめを換えながらシーラは、頃合を見計らってミルクを作り
始める。その横でヤランは、泣いている赤ん坊をあやすのに大わらわだ。気がつけば、
昼食を食べるタイミングも逸してしまっていた。

「もう少しでジーラ姉が帰ってくるからね。そうしたら、ご飯を作る余裕もできるわ。
もう少し頑張るのよ!」
「うん、ヤラン頑張る!(^^;)」

 彼女達は、3人目の人手の到来を心待ちにしていた。そしてついに……。

「ただいま☆」
「あ、ジーラ姉!」

 頼もしい長女、ジーラ・ナサティーンの声は、二人がずっと待ち望んでいたものだっ
た。

「あのね、今家の中が大変なの!」

 ヤランは早速ジーラに状況報告を使用として……そして絶句した。
 ジーラは、赤ん坊の入ったバスケットを6つも持ってきていたのだ。

「赤ん坊がこんなに捨ててあってさぁ、放っておけないから拾ってきた。ちょっと大
変だけど、しばらく面倒見てあげようね☆ ……どーしたの二人とも? そんな化け
物を見るような目で私を見て?(^^;)」

(合計12人……どーやってそんなに面倒見ればいいのかしら?)

 家事のプロであるはずのシーラだったが、ジーラの持ってきたバスケットを、ただ
茫然と見つめるしかなかった。




ACT1-14;10/5 弥生家


 水無月雪美も、ルイス&クラレッタのウー兄妹も、雪御澪嘩も、弥生五月も、そし
て黒沢世莉も、猫のライムまで……弥生家の家主・弥生葉月の後ろ姿に冷ややかな視
線を送っていた。
 葉月はというと……10人近くもいる捨て子のおしめを、黙々と換えていた。
 この赤ん坊達は、ダンボールに詰められて、弥生家の玄関の前に積み上げられてい
たのだが……葉月の家族達はそれらについて、一つの見解に達している。

(葉月に子供を産まされた女性達が、一斉に赤ん坊を葉月に押しつけたんだ!)

 あまりにも非現実的な誤解に、葉月は反論する気力もなえてしまい、ただ一人赤ん
坊の世話に追われていた。

「俺達は関知しないからな。お前が責任を持ってその赤ん坊の世話をしろよ」

 世莉の言葉にも反応しなかった葉月に、ただひとり玉乃宙実が「あたしも手伝う!」
と言いだした。

「こぉーんなに赤ちゃん作るなんて、さっすが葉月くん甲斐性あるぅ!(^^)」

 もちろん宙実は褒めているつもりだし、葉月にもそれはよく解るのだが、それでも
彼は言わずにはいられなかった。

「…………うるせーよ(__;)」




ACT1-15;10/6 軍事学部


 東京洋上大学軍事学部助教授、ハインリヒ・フォン・マイヤーは怒っていた。
 何に怒っていたという事ではない。あえて言うならば、彼を取り巻く環境の全てに
怒っていた。
 ただでさえ、森沢香南の問題がある。彼女は『ラブシック』で受けた深い深い痛手
から、未だ立ち直っていないのだ。それだけで頭が痛いというのに……目の前で展開
されている、この事態の馬鹿馬鹿しさは何だ!
 マイヤーはそう叫びたい衝動を、持ち前の卓越した自制心で抑えていた。彼のこと
を決して気が短いなどと言わないでほしい。
 想像してもらいたい。自分を慕う知人は現在、麻薬に冒されて苦しんでいる。自分
が指導しなければならない学生は、入学してからわずか1ヶ月しか経っていない「新
兵」である。
 ……そして、そんな新兵達が、彼の目の前で「赤ん坊を背負いながら」匍匐前進の
訓練をしているのだ。
 これで怒るなというのは、酷な話である(^^;)。
 突然、赤ん坊の泣き声がマイヤーの耳に届いた。「きょん」こと篠田清志の背負っ
ている子供が泣き始めたのだ。隣にいた久慈龍一郎が、自分の赤ん坊が泣きださない
ように注意しながらきょんに悪態をついた。

「篠田……早く泣きやませろ(ー"ー)」

 肩の力を抜くように努めて、マイヤーは十分抑制の利いた声できょんに命じた。そ
の落ち着きぶりが、かえって彼のいらつきを表していたといえなくもない。

「は、はいっ!」

 マイヤーの言葉を受けてきょんは、背中の赤ん坊を下ろし、なんとかあやそうとし
た。『高い高い』してみたり、『いないいないばあ』してみたり……久慈まで手伝わ
せて、必死に赤ん坊を泣きやませようとしたのだが、効果は全然なかった。
 しばらく後、久慈は辺りに漂う悪臭に気付いた。

「……おいきょん! おむつをはずしてみろ!」

 久慈にせっつかれて、きょんは不器用な手つきでおむつを脱がせてみた。そして、
泣いていた原因を発見した。

「わっ、うんちもらしてやがる!」

 きょんの情けない叫び声に、マイヤーの怒りはいきなり抑制の限界を越えてしまっ
た。だから彼はつい、状況を忘れて「いつものように」怒鳴ってしまった。

「貴様ぁ、何をいつまでもトロトロやっている! ここは軍事学部だ、託児所じゃな
いんだぞ!(ー_ーメ)」

 ……当然のことながら、マイヤーの怒鳴り声にびっくりした「マイヤーの赤ん坊」
を始めとする乳児達は、盛大に泣き声を上げ始めた。大合唱である。
 大慌てで自分の背負っている子をなだめる学生達を見て、マイヤーは深く深く後悔
したのだが、彼には自分の赤ん坊に対してすら、どうすることも出来なかった。軍事
教練には、さすがに「育児戦」という項目はなかったのである。




ACT1-16;10/6 DGS


『麗子さん麗子さん、見てくださいこの赤ちゃん! かわいいでしょー(^^)。捨て子
になっていたところを僕が拾ったんですけど、この子の名前はやっぱり「れいこ」に
しました(^^)』

 てへへとしか表現しようのない笑みを、ヴィジホン越しに浮かべている佐々木浩二。
 そんな彼に、DGS極東支部総務本部長の神野麗子は、

『ギンッ!!』

 という擬音付きの、視線で射殺さんばかりの怒りに満ち満ちたまなざしを浩二に向
けた。そして、たった一言。

「アンタ、馬鹿!!!!(ー_ーメ)」

 麗子は受話器を叩きつけるようにしてヴィジホンを切った。

「のんきな顔をしおって、あの男……こっちはそれどころじゃないのに!」

 彼女の怒声に…………赤ん坊の元気な泣き声が続いた。

「あーあーあー(__;)」

 慌てて赤ん坊を抱き上げ、あやす麗子。要するに、彼女も捨て子を送りつけられた
のである(^^;)。




ACT1-17;10/6 紫沢俊宅


 思い当たらない。……どうしても、思い当たらない。
 女の子とは数多くつきあってきた。しかし……こんな「もの」を玄関先に置かれる
ようなことは、していないはずだ。
 やっぱり、思い当たらない…………(・_・;)


                   ☆


 頭を抱える紫沢俊の横で、弟の紫沢拓哉は単純にはしゃいでいた。

「たっくんにおとうとができた、たっくんにおとうとができた!\(^_^)/」

(拓哉……その子は、お前の甥っ子なのかも知れないんだぞ)

 俊はそう思いはしたが、口にすると自分がめげそうなので黙ったままだった(^^;)。




ACT1-18;10/6 派出所


 かもめ商店街前派出所には、「赤ん坊が捨てられていました!」と、捨て子を抱え
た人達が殺到した。
 だが、この派出所に詰めている巡査長の土方源造は、

「すまんが、しばらくは自分達で何とかしてくれい!(T_T)」

 と言って、それらの人達を全て丁重に門前払いしていた。
 言われた人も、派出所の中に8人もいる赤ん坊を同時に世話している土方の姿を見
てしまうと、反論のしようがなかった……(^^;)。

 そして、群島内の他の派出所も大同小異。群島の警察機能は、著しく低下していた。




ACT1-19;10/6 椎摩渚宅


「渚様、見てください! 赤ちゃん拾っちゃいました!(^^)」

 椎摩渚宅の新人メイド・日下部真由美は、「うれしさいっぱい」の表情で渚の部屋
に(ノックもそこそこに)飛びこんだ。
 そこで真由美が見たものは……赤ん坊(もちろん捨て子である)に胸をあてがって、
吸わせてやっている渚の姿だった。
 一瞬凝視した後、真由美はたった一言。

「…………あっ(・_・;)」

 渚の乳首を吸っている赤ん坊の表情は、安らかであった(^^;)。




ACT1-20;10/7 MIL


「おぉ〜ほほほほほほほほほほほほほほっ!」

 三宅準一郎教授の耳に、聞き慣れぬ高笑いが届いた。声の方向を向くと、そこには
褐色の肌を持ったワンレン美女が、腰に手をあてて立っていた。

「久しぶりねぇ、準一郎!」
「むむっ! ワシのことを『準一郎』と呼ぶ……君は誰だ?」
「聞いて驚きなさい準一郎! わたくしこそかつて『MILにその人あり』とうたわ
れた、準一郎の妻にして天才発明家の三宅総研助教授、ヴィル・ヴェル・ヴィントな
のよ! おぉ〜ほほほほほほほほほほほほほほほほほっ!!」
「……おーおーおーおー、そーゆーこともあったかもしれんなぁ、うははははははは
ははははははははは!」

 ……この二人のやりとりは、はたして会話と呼べるのだろうか?(^^;)
 ひとしきり笑い合った後、三宅は彼の拾った赤ん坊を突き出した。

「まあ見たまえ、ヴィル・ヴェル・ヴィント君とやら。どうじゃ、ワシの赤ん坊は!
可愛かろう!」

 それに対し、ウィント助教授も負けじと自分の赤ん坊を突き出す。

「フフン、そういうことはこのわたくしの赤ん坊を見てから言いなさい! どうです、
この色つや! この端正な目鼻立ち! まさにこのわたくしにふさわしい!」

 親子ほど歳の離れたこの夫婦だが、やっていることは大して変わらない(^^;)。
 そこへやってきたのは、キャリアウーマンのはずのこの二人であった。

「きょうじゅぅ、例のモノできましたかー?(^_^)」

 DGSきっての切れ者であるはずの諏訪操が、そこいらのOLのようにはしゃぎな
がらやってきた。腕の中には……やはり捨て子と思われる赤ん坊がすやすやと眠って
いる。

「おお、諏訪くんか! うむ、約束通り作っておいたぞ!」

 三宅教授はニヤリと笑うと、「例のモノ」を傍の学生に持ってこさせ、床に置かせ
た。

「何ですの、それ?」

 ヴェントが、全長1mほどのカプセル状の「例のモノ」を見て首をひねる。彼女の
目の前で三宅は、操に「試してみるがよい」と声を掛けた。
 操がカプセルの中に赤ん坊を入れるやいなや、ヴェントの顔に理解の色が広がる。

「……赤ん坊の保育器のMIL版ってところねっ!」
「ほほぅ、ワシの妻を自称するだけあって、さすがにものわかりが早いようだな!」

 ところで、三宅夫妻は両方ともとても声がデカい(二人の会話を聞いていると、な
んとなく想像がつかないでもないが……(^^;))。二人の会話は起きている人間はとも
かく、寝ている人間にはとてもうるさいものである。だから、それを至近距離で聞か
された赤ん坊は、当然の事ながら……。

「ほぎゃあ、ほぎゃあ、ほぎゃあ……」
「あ、泣き始めちゃいましたよ、きょうじゅぅ(^^;)」

 操は苦笑したが、教授はむしろ改心の笑みを浮かべた。

「その方が、このMIL特製カプセル型自動保育器『ゆりかごくん』の真価を見せつ
けることができるぞ!」

 三宅教授の指示するとおり、操は『ゆりかごくん』の脇についているボタンやダイ
ヤルを操作した。
 するとどうだろう。『ゆりかごくん』はゆっくりと横揺れを始め、どこからともな
くガラガラを持ったマニピュレーターが現れて赤ん坊の目の前で「ガラガラガラ……」
とやってみせ、静かな子守唄がスピーカーから流れ出た。
 今まで泣いていた操の子供だが、次第に泣き声が小さくなり、やがて再び眠り始め
た。

「うははははははははは! 見たかね、1/fゆらぎの理論を応用した、『ゆりかご
くん』の抜群の威力! それにコイツは、ミルクをやる事もできればおしめを換える
こともできるぞ!」
「すごいすごい!(^_^)」

 単純にはしゃぐ操の横で、ヴィントはうなり声を上げた。

「ふぅむ……どうやらわたくしのいない間も、研究に精進していたようね、準一郎」

 天下の三宅教授に向かって、とんでもない発言をするヴィントだが、教授は教授で
「当然である! うはははははははは」と笑うだけで、全然気にしていないようだ。
 その間も『ゆりかごくん』の中の赤ん坊を見ていた操は、スピーカーから小さく流
れる、怪しげな合成音声に気がついた。

『ネコガネコンダ……フトンガフットンダ……ボウズガフタリデオショウガツー……』
「……ひょっとしてこれって、駄洒落ですか?(^^;)」
「おお、よく気がついたな諏訪くん! 日本人はユーモア感覚が足りんからな、MI
Lの人工頭脳『未来(MIL−AI)』と接続して、小さいうちから駄洒落を覚えさ
せるのじゃ! そうすればこの子は大きくなったら、どこへ出しても恥ずかしくない
立派なエンターテイナーになれるぞ! うははははははは!」

 ちなみに、操はこの子をエンターテイナーに育てるつもりは毛頭ない(^^;)。
 そんな彼女をよそに、ヴィントは突然勝ち誇ったように高笑いを始めた。

「おぉ〜ほほほほほほほほほほっ! 詰めを誤ったわね準一郎! 外国人の赤ん坊に
日本語で駄洒落を教えても、本国に帰ったらその知識はまるで役に立たなくてよ!」
「おおそうであったか! では急いで改良版、『ゆりかごくん・インターナショナル』
を作らねば!」

 ……この二人の会話を見て、操は気圧されるばかりであった(^^;)。




ACT1-21;10/7 MIL


 三宅総研の中で、ただ一人『ゆりかごくん』になじめなかった男がいた。泣く子も
同情するMIL一の苦労人、大番頭・木島正である。
 赤ん坊を背負い、彼はやつれた顔で帳簿をにらみながら、そろばんを弾いていた。
近寄りがたい迫力を辺りに巻き散らしながら仕事をするさまは、背中の現実を忘れよ
うとしているかのようであった。いや、実際にそうであったのかもしれない。
 しかし赤ん坊の方は、それを許しはしなかった。

「おんぎゃぁーっ!」

 再び赤ん坊が泣きだす。木島はキリキリ痛む胃を押さえながら赤ん坊をあやし、ミ
ルクの入った哺乳びんを持たせてやった。

「おーよしよし、泣かないでおくれよ。……あーあ、どうして私ばかり、こんな苦労
を次から次へと……(;_;)」

 嘆かれるな、番頭さん。今回の災難に限っては、あなた一人に降りかかったもので
はない(^^;)
 突然木島は、肩口に生温かいものを感じた。ミルクを飲みすぎた赤ん坊が、だぁーっ
と吐きだしてしまったのだ。

「ほぎゃあ、ほぎゃあ……」
「(キリキリキリキリキリ……)うおおーっ、胃が、胃がぁぁぁぁぁっ!!(T_T)」




ACT1-22;ベビー・クライシス


 ……千尋が捨て子を拾ってから一週間。東京人工群島は、住民とほぼ同数の赤ん坊
に占拠された。
 もとより乳児人口の少ない群島の養護施設は、孤児院のみならず、保育園、幼稚園
までもがパンクした。あらゆる商店街、デパート、コンビニエンスストアで、育児用
品の姿が消えた。職場は赤ん坊であふれ、飲食店の中は彼らの泣き声が充満した。
 唯一「被害」のなかった群島中央病院を始めとする医療施設も、過労、ノイローゼ
などの患者が殺到した。警察も、処理能力をはるかに超えた数の捨て子に対しては、
まるで無力であった。
 あるAS関係者が、このパニック状態をこう表現した。
 乳児危機……『ベビー・クライシス』と。
 そして群島の全機能は……実質的に麻痺した。


 赤子に席巻された群島で、島民達はどうやって、「育児」という人生最大の試練を
乗り越えてゆくのか。麻痺した都市機能を、どうやって回復させるのだろうか。
 それは、島民だけが決めることのできることである。

 ……あなたは、どう育てる?

 

 

                       ・・・ Act.2に続く