act.1-7;DGS電工の姿勢


「で、ではそのASのインタビューということで、質問させていただきます。
 DGSは……その、なぜEVを作っているんです? 自動車産業界は……もう三十
年も前から、EVの時代は長続きしないって言ってきましたよね。将来的にはHVが
有望だと」

「よく勉強してるわね、紫沢くん。
 DGSがEVを作っているのは、今はEVが売れる時代だからよ。
 確かに長い目で見ればHVは将来性があると言えるわ。関係各社はそのためにしの
ぎを削ってきているのだし、DGSもいずれはその方面へ進むことにもなるでしょう。
 でも、HVは商品として市場に出すにはまだ早すぎるのよ。性能、コスト、安全性
……これらの諸問題をすべてクリアしなければ、DGSの名を冠した商品として市場
に出すわけにはいかないわ。
 三十年も前からEVはダメだと言いながら、そのHVも、もう三十年もの間モノに
はなっていない。今、市場に流れているHVが絶対に大丈夫だという裏付けもない。
 だから、そんな不安定で不確実な商品よりも、確実に動きそれなりの技術の蓄積を
重ねてきたEVを極め、売ることの方が確実で堅実でしょう?
 DGSにおいて、確かな技術的裏付けなしの投機的な……賭事のような仕事は、企
画調整局長たる私が許可しません。
 DGSは総合商社であり、DGS電工はDGS傘下で売れる商品を作る企業なの。
決して、開発することにのみ心血を注いで終わらせてしまうわけにはいかないのよ。
開発にかかった費用を取り戻せるだけ、その技術で商売をしなければね。
 それが正しい企業の姿勢というものではなくて?」

「そ、そうですね……」

 実際、最近になってにわかに騒ぎだされているHVだが、三十年も前にコンセプト
カーが発表されて以来、ほとんど進歩らしい進歩は見られない。水素エンジンで動く
車はいくつか試作されているし、確かに一部のHVは売り出されもしてはいる。
 しかし、一八〇〇年代末から一九〇〇年代初頭にかけての自動車創世期のアメリカ
自動車産業界がそうであったように、充分に安価なモデルもなければ多くの消費者が
買うことが出来ない。そして、より多くの人々が所有して初めて、広範に及ぶ交通機
関としての自動車には価値があるのである。
 三十年かかりながら、HVは未だに未解決の問題を抱え、決してありふれた存在に
はなりえていない。HVはまだまだ熟成しているとは言い難く、『商品』と言えるほ
どの仕上がりを見せてはいなかった。

「DGS電工のEVは、その……競技会に出るんですか?」

 紫沢俊が質問を繰り返すと、諏訪操も答えを繰り返した。

「ええ。DGSの作るEVの優秀さをアピールするいい機会だと思います」

「あの……競技会に出すEVは、特別性能の高いプロトタイプか何を使用されるんで
すか? 他の……何か競技用の特別な装置を装備しているとか……」

「そうね……特別なことは何もしていないわ。それこそ、そのまま市販車として売り
出せるくらい、当り前の普遍的な車よ」

「でも……競技会やレースということは、その車を通して作った会社の技術や信頼性
が試されることになるんですよね? そんな大事な局面なのに、そんな普通の車でい
いんですか?」

 俊は心配そうに言った。

「大事な局面だからこそ、普通の車がいいの。質実剛健、確実で信頼性豊か。フォル
クスワーゲンがあれだけ売れ続けてきたのは何故だと思う? 私は、確実で普通で信
頼できるのが当り前だという『特別ではないこと』が評価された結果だと思うわね」

「質実剛健……ドイツの職人魂ですか? でも、それで勝負に勝てるんでしょうか」

「そうね。
 競技会は勝たなければならないわ。そして優秀であるという評価を得なければなら
ない。だけど、競技会でのみ、よい成績を出すのは簡単なのよ。F1は素敵なモータ
ースポーツだと思うけど、その車はあまりにも高すぎ、あまりにも運転が難しすぎた。
大金と試験段階にある特殊な技術をつぎ込み、手間暇をかけてやれば凄い車はすぐ作
れる。
 でも、それは憧れてもつかむことのできない幻のようなものを作り出すにすぎない
と思うわ。
 確かに、幻のような記録をたたき出すモンスター・マシンは、それを見る人々に夢
を与えてくれるかもしれない。でも、モンスター・マシンは売ることも買うこともで
きない。誰も夢を買い、夢みたものに乗ることはできない。それでは商売にならない
のよ。
 だからこそ、DGS電工が作る車は普通がいいの。いえ、凄い性能なのが当り前で、
普通で誰が乗ってもよく走る。例えば、専門家ではない紫沢くんが運転することにな
ったとしても、ちゃんと競技会では勝てるくらいにね。
 そして、レース用の特別な部品を使わなくてもちゃんと走る。そういう車を作れば、
誰もがそれを買うわ。DGS電工がEVに求めていること、DGS電工がEVユーザ
ーに求められていることはそれなのよ。
 競技会にDGS電工の作ったEVが出走する。確実に走り、驚嘆に値するポテンシ
ャルを示す。そして、競技会に出ていたものと寸分違わぬEVがディーラーの店頭に
並ぶ。
 あたしだったら買うわね。夢を見せてくれたその車と寸分違わぬものを我が手の中
に納めるためにね」

 俊は、物腰柔らかで穏和な気品を漂わせる諏訪操は、典型的なお嬢様だと信じてい
た。事実、諏訪宗家の血を引くという操は、俗に言う良家のお嬢様である。お嬢様と
いうのは……ましてやDGSの管理職クラスの人間は、決して熱く雄弁に夢を語った
りはしないものなのだと信じてきただけに、俊は操に新鮮な驚きを感じていた。
 堅実で手堅い仕事をし、危険な賭は絶対にしない……それが操の評判である。裏を
返せば、操が自信をもって進める仕事は、絶対確実で間違いのない仕事である……と
いうことである。
 もちろん、夢だけではない部分が操の中には脈打っていた。競技会で優秀な成績を
残し、都バスにEVを導入させるための充分な説得材料を作る。EVに負けることに
よって信頼性を問われるHVは、ますます市場へのロールアウトが遅れる。その間に
高性能EVを普及させ、HVの本格的普及が始まる前に、DGS電工とその主力製品
であるEVを足がかりに、DGSは群島経済に根を下ろす……。
 操は嘘は言わなかったが、必要以上のことには答えなかった。

「我々DGS電工のEVに負けるようなことがあれば、大手自動車メーカーはますま
すHVの開発を急ぐでしょうね。自分達のシェアが、我々DSG電工をはじめとする
EVメーカーに食いつぶされていくのを、黙って見ていられる余裕はないはずだから」

「なるほど……」

「今の話……オフレコでなくてもけっこうよ。DGS電工サイドの公式見解として、
発表してもかまわない。マスコミ学科AS局勤務の紫沢俊のインタビュー取材への回
答ということにしてあげるわ」

「本当にいいんですか!?」

「ええ。ただし、この話はDGS企画調整局から聞いたのではなく、DGS電工広報
部から聞いた話……ということにしておいてもらえるかしら?」

「それはかまいませんが……?」

「DGS電工は、親会社の口添えがなくても技術力で勝負ができる会社だということ
を実証しておきたいの。DGS電工の技術者の士気もあがるし……引いてはそれがD
GSへの総合的な評価にもつながるしね。現場の技術者の手柄を取り上げるほど、D
GSは狭量ではないわ」

 操はそういって笑った。

「どう? いい記事になりそう?」

「ええ、こんな大事な話を、僕みたいなバイト風情に聞かせてもらえるとは思っても
いませんでしたから」

「貴方が黙って電話番だけしかできないバイト君だったら、ここまでは話さなかった
でしょうね。でも、貴方が『知りたい』って思って、ジャーナリストの立場として質
問してくれたから、私もそれに応えるために話せる限りのことを話したの。
 もちろん、企業であるからには企業秘密というものはどの会社にも存在するわ。そ
れがDGSに限らずね。触れられたくないものをこそこそと調べてまわって、痛い目
を見る者もいるみたいだけど……こうして正面から質問されれば、応えられる限りは
ちゃんと応える。そういった対応は、社会的に大きな影響力を持つ企業の義務なのよ。
 DGSが外資系企業であるということもあるのでしょうけど、どうもDGSに対し
て誤解している人が多いみたいだから……そういった誤解を緩和するために貴方への
回答が役だってくれると私も嬉しいわ」

 操が俊をDGSのプロパガンダの道具の一環としている可能性もある。俊の先輩に
あたる根戸宏や飛鳥龍児なら、そう考えたかもしれない。
 だが、駆出しだろうと見習いだろうと、俊も洋上大学マスコミ学科の一年生である。
俊にとって、自分が一介のバイトとしてではなく、一人のジャーナリストとして扱わ
れたことは、心地よい快感だった。

「DGSはあらゆる能力を持った人間を歓迎するし、その年齢に関わらず能力を評価
する企業よ。人材は企業の存在を左右するわ。一見平凡に見える人間の中から秀逸な
能力を持った人材を発掘することは、企業戦略上重要なファクターよ。
 そういう未発掘の若く有能な人材を登用し、才能を周囲に認めさせるための最初の
チャンスを与えることは大事なことなの。はた目から見れば『無謀な大抜擢』と見ら
れるかもしれないけど……DGS極東支部が、現地雇用や若く有能な女性管理職によ
って支えられていることが、この企業理念の正しさの何よりの証明になると思うわ。
 紫沢くんにも、紫沢くんなりの……ジャーナリストとしての資質があると理解した
から、私は貴方の質問に答えた。だから貴方も自分に自信をお持ちなさい。私は貴方
がDGSの正しさを世に知らしめてくれるなら、そのための協力を惜しむつもりはな
いわ。なんなら、今回の競技会の間、DGS電工のニュースを貴方に優先して流して
もいい」

 洋上大学マスコミ学科の実習機関である放送局AS(アーキペラゴ・ステーション)
もまた、実力実績至上主義である。あらゆるチャンスを活かし行動を起こして、実績
を認められた者は、次々に評価され上のステップへ進むことができる。
 それ故、もし操の申し出が事実ならば、DGS電工絡みで起こるセンセーショナル
な事件は、俊を通じて報道されることになるのである。実績作りのためのスクープを
拾えるかどうかは、運とコネクションに由来するものだけに、操の申し出は駆け出し
の俊にとって願ってもないチャンスであった。もしかしたら、俊にジャーナリストと
しての成功の最初の一歩を与えてくれるかもしれないのだ。
 俊が操の甘美な密のような言葉に酔いしれていたとき、企画調整局のドアがノック
され、俊とあまり変わらない年頃の青年が入ってきた。

「ちょうど良かった。これから紫沢くんには、DGS電工の事を色々知って貰わなく
ちゃならないのだから……君にも紹介しておきましょう。
 彼、麻田祐一くん。今度の競技会で、DGS電工のEVに乗ってもらうことになる
ドライバーよ」

 そのとき、ヴィジホンのベルが鳴った。

 

 


act.1-8;産業スパイからの申し出


「あ、僕が出ます」

 紫沢俊はDGSの電話番のアルバイトとして、かかってきたヴィジホンに応対した。

「はい、こちらデァ・グルッペ・シュペーア企画調整局です」

『もしもし……そちらDGS……?』

 モニタに相手の映像が映らない。その声は例の産業スパイのものだった。

(よりにもよって……!)

 俊の背後には、企画調整局長である諏訪操がいる。この状況下では、回線を飛鳥龍
児のハンディ・ホンに転送することは不可能だった。
 ブラックアウトしたままのヴィジホンの向こうからの声は、前回とまったく同じ質
問を繰り返した。

『企画調整局の局長もしくは、DGS電工の担当者は?』

「私に? ……出るわ」

 突然、名指しされた操は、振り向いてヴィジホンの端末に向かった。

「私が企画調整局長の諏訪操です。どちら様でしょう?」

『都バスの機種選定について、おたくに有利な情報を提供したい……』

「……興味深いお話ですわね」

 操は、傍らにいた男子社員にさりげなく目配せをすると、回線を逆探知させた。

「あなたは、どちら様でしょう?」

『……それには答えられない』

「それではお話をお伺いするわけにはいきませんわ」

 操の言葉を意外に思ったのか、ヴィジホンからの声が一瞬躊躇した。

『……DGSはEVメーカーとして、如何なる手段を用いてもHVに勝たなければな
らないはずだ。HVメーカーを陥れる情報に興味がないはずはない』

「どうも、貴方にはいくつか誤解があるようですね。
 ひとつ。EVメーカーとしてEVを作っているのはDGSではなく、我々の子会社
のひとつであるDGS電工という別会社です。そのDGS電工の意向に関して、我々
DGS極東支部は一切関知していません。
 ふたつ。確かにHVはEVと競合する優れた次世代自動車の候補のひとつですが、
我々DGSは不正な手段を講じてHVを陥れるといった、犯罪行為に手を染めるつも
りはありません」

 操は言葉を選びながらヴィジホンの相手に対応しつつ、先刻の男子社員を振り向い
た。逆探知は数十秒で終わり、結果が別のモニタに表示される。どうやら公衆BOX
からかけているらしく、かけてきた相手を特定できない。
 操はこれ以上の足止めは無駄と判断した。

「みっつ。我々DGSは正当な企業です。不確かな情報に基づいて行動するわけには
参りませんし、どこの誰ともつかない方と取引をするわけにも参りません」

『本当に聞きたくないのか? DGS電工のEVも三宅教授のレースには出るつもり
なんだろう?』

「よっつ。DGSを駆引きだけに秀でた組織だと思っていただいては困ります。DG
S電工の技術陣は優秀であり、正体不明の輩からの情報に頼らずとも独力でEVの優
秀さを証明してご覧にいれましょう。それでは失礼」

 操は相手の返答を待たずに、一方的にヴィジホンを切った。

「敵を知り己を知れば、百戦危うからず……ってね。敵と自分の実力を正しく知れば、
いかなる戦いにも勝つことができる。ただし、その場合は敵も己も正しく知らなけれ
ば何にもならないわ。信頼性に欠ける情報に踊らされるのは、私の好むところではあ
りません。それに……」

 黙ってやりとりを聞いていた麻田祐一を振り向く。

「それに、ねぇ……麻田くん。そうでしょう?」

 

 


 act.1-9;マシン・コンセプト


 チーム結成から2日目の晩。
 チーム・ルナのスタッフが持つ有象無象の新技術のデータをすべてチェックし、ト
ータル・バランスの取れた最上の設計図を組み上げる作業を押しつけられたシータ・
ラムと広田秋野の二人は、縁島にある住宅公団・縁島団地のラムの部屋にこもってい
た。

 ラムと広田を中心に『チーム・ルナ』を結成した三宅総研の学生たちは、三宅教授
公認の三宅総研ワークス・チームとして、かのキャンボールに出走することになった。
ドライバーにライディング・ナイト聖武士が、そしてチーム全体のまとめ役には『る
るいえ海洋開発』のマイア・岩瀬・リークが迎えられた。
 エントリーのための車両製作は学生の研究の一環として認められた。木島正大番頭
が入院しているのをいいことに、必要な一切の費用が三宅総研内の「三宅開発基金」
から捻出され、ラムはまんまと三宅総研の予算を使ってかわいいルナのパワーアップ
を行なうという目論見を成功させたのである。
 だが、W12エンジンを開発したチーム・ライフが勝てなかった資金難という難敵
を、三宅教授という超兵器でクリアしたものの、敵はそれだけではない。
 エントリー登録時までに、車を完成させなければならないのである。まったく新し
い車を作るのには、あまりにも時間が足りなすぎた。
 もし旧来の手法のままで、まったく新しい自動車を作ろうとしていたら、おそらく
チーム・ルナのマシンがガレージを出る頃には大手メーカーの永年の研究成果を満載
したHVが、市場を賑わせていただろう。
 しかし、チーム・ルナのマシンは、高度に発達したCADと、三宅総研の卓越した
未公開技術とその研究データをシミュレーションして開発が進められている。
 材料の特性や信頼に足る既知計算値をデータとして入力し、CADによって実車の
性能をはじき出すのである。CADによる設計が完了したら後は現物を作るだけでい
い。この手法により、ベテランの経験と勘に頼っていた行程を相当に短縮することが
可能となった。

 だが車の性能のうちの何を重視するかによって、求められる素材もレギュレーショ
ンも違ってくる。レースの目的がはっきりしているならともかく、「無公害車である
こと」以外に、一切の規定が発表されていないため、車のコンセプトを絞ることさえ
難しい。
 自動車というのは、あらゆる技術の集積体といっていいほど、様々な技術を寄せ集
めて作られている。排気量を増やせばすぐに早くなる、といった単純な問題ではない。
燃焼系、燃料系、冷却系、駆動系、トランスミッション、制動系、制御系、電装系、
タイヤなどの足回り、そしてボディの形状から、それらのすべてを支えるシャーシの
剛性に至るまで、どれかひとつが劣っていても、逆にどれかひとつだけが秀でていて
も車はちゃんと走らない。
 強力なエンジンを載せるなら、エンジンをマウントする方向を考えなければならな
い。大出力に伴う震動を抑える工夫をし、クランクがたたき出す駆動力をロスなくタ
イヤに伝えなければならない。そのタイヤが路上で無意味に空転しないように、路面
に対して最適な材料を選ぶことも大事である。
 技術の集積体であるだけに、車両全体のバランスがモノを言う。それが自動車を作
る上で重要なことなのである。
 いわゆる早く走ることを競うレースであれば、参加車両は早ければ早いほど優秀で
あるということになる。そういうことであれば、メカニック・スタッフたちは、低速
から高速にかけて、安定した加速を得られる単に早く走ることだけができる車を作れ
ばいいことになる。
 しかし……。

「しかし、あの三宅教授がそんなつまらないレースをやるとは思えないんだよなぁ」

 モニタに映るCADのワイヤー・フレームの3D図面をにらみながら漏らした広田
の独り言に応えるように、ラムも呟いた。

「確かに三宅教授は派手で景気のいいことが大好きな人だけど……。早く走る他に能
のない機械なんかじゃ、三宅教授を越えることはできないような気もするわねぇ。も
っとこう……うーん。何が足りないのかしら」

「教授はHVもしくはEVそれぞれの性能の優秀さを証明するレースだって言ってま
したね。でも、僕はHVとEVを比べるってこと自体に疑問があるんです。
 例えば、一日当たりの総走行距離が把握できて、毎日ほぼ同じコースを同じだけ走
るバスや配送用トラックに使うのであれば、今群島の大部分がそうであるように、E
Vで充分足りると思うんです。それにEVのモーター駆動音って凄く静かでしょう。
居住区やオフィスが密集している場所を通っても、騒音公害も起こらない。そういう
意味では正にEVは都市の公共コミューターにもぴったりだと思いますしね」

「あら。広田くんてEV派だったの!?」

「特にHVにもEVにもこだわる気はありませんよ。
 HVとEVにはそれぞれ異なる長所があるわけだから、それぞれの長所にあった場
所でその真価を発揮すれば済むことであって、どちらかが淘汰されてしまうようなや
り方は……ちょっとね」

「でも、エントリーできるのは一チームにつき一台のみ。今からチームを二つに分け
て異なるコンセプトの車を二台も作っている暇なんかないし……」

「HVとEVの特性を両方ともアピールする車を作ればいいんですよ。住宅地や路地
を走るときはモーター駆動で静穏走行、首都高やハイウェイを走るときは水素エンジ
ンで走る」

「ああ、なるほど。マツダHR−XのATCS(アクティブ・トルク・コントロール
・システム)や……日野自動車のHIMRみたいなものね」

「W12エンジン同様、僕らのオリジナルでもなければ決して目新しい技術でもあり
ませんけどね。でも、改良・改造こそが進歩へのいちばん重要で確実な道だっていう
じゃありませんか」

「HVとEVのハイブリッド車かぁ……さしずめ、ルナHEVってところね。コンセ
プトとしちゃ、なかなか悪くないんじゃない?」

「でしょ?(^^) 問題は……このコンセプトを、どうやってルナに活かすか……って
コトかな。どんなに立派なコンセプトがあっても、それを技術に変換してルナにフィ
ード・バックできなければ何にもならないわけで……うーん……」

 広田はそれまでの熱弁をぱったりと途切れさせると、再びモニタをにらんで黙り込
んだ。
 夜は静かに更けようとしていた。

 

 

 


act.1-10;誤解の一夜


「ジーラ姉ェ、何作ってるの?」

「ん? シータが三宅教授のレースに出るって言うからさ。応援用にと思ってね」

 ジーラ・ナサティーンは、大漁旗に妹のシータ・ナサティーンとチーム・ルナのメ
ンバーの名前を書き込んでいた。どういうレースになるのかは知らないが、やはり妹
の晴れの舞台という

「シータ姉ェ、シータ・ラム、広田秋野、アーマス・グレブリー、マイア・I・リー
ク……へぇ、ラムさんとかも出るんだ」

「そうらしいよ」

「ねぇねぇ、ヤランも手伝いたいなぁ」

「……(^_^;) あんたが手伝うとチームのみんなに迷惑がかかるからやめときなさい」

「えー……(;_;)」

 ヤランは歩く迷惑である。ヤンチャにもほどがある程の歩く迷惑である。

「ちぇっ……」

「ほらほら、もう十二時回ってるよ。子供は歯磨いてさっさと寝なさい」

「はぁい」

 ジーラに促されたヤランは、素直に洗面室に向かった。
 程なく、ヤランは歯ブラシをくわえたまますっ飛んできた。

「えーえー! いーあえー!!(ねぇねぇ! ジーラ姉ェ!!)」

「何なの(^^;) 歯ブラシくわえたままじゃわからないじゃない」

 ヤランはジーラを腕をつかんで、ぐいぐいと洗面室へ引っ張った。

「お隣りって、ラムさんちだよね? なんだか変な声が聞こえるのっ!」

「まぁたこの子は人んちの様子を盗み聞きなんかして……」

「だって、だって聞こえるんだもん!」

「どれどれ……?」

 洗面室近くの通風口から、シータ・ラムのものとおぼしき声と、誰か聞き慣れない
男の聶き声が、途切れ途切れに聞こえてくる。

『あ、あれ? うまく入らないな』
                 (実はCADを操作しパーツを並べている広田)

『慌てないで、そこじゃないわ。もっと下の……そうそう☆』
                   (広田の背後から端末をいじっているラム)

『ああ、これか』
                  (ラムの指摘でケアレス・ミスに気付く広田)

『……さぁ、いくわよ』
            (シミュレーションの結果を表示させようとしているラム)

『えー、ラムさん元気だなぁ』
                  (疲れを知らないラムに恐れ入っている広田)

『何言ってるの。これからが本番でしょ?』
                (シミュレーションの結果表示を待っているラム)

『オレ、もう疲れたよ』
                              (徹夜に弱い広田)

『ほら、ここをこういじれば……どぉ?』
             (シミュレーションの結果をグラフに展開しているラム)

『お。おおおおおう!!』
            (シミュレーションの数値の凄さに驚いて目が醒める広田)

『ほら、また元気になったじゃない☆』
            (ぽんと広田の肩を叩きつつ、CADの操作を続けるラム)

『そんな凄いテクニックどこで覚えたんです?』
            (ラムがあまりにCADに慣れているので驚いている広田)

『あら、レディにそんなこと聞くもんじゃなくてよ☆ あたし初めてなんだから……』
(実はCADは初めてなんだけど、広田にほめられてちょっと得意になっているラム)

『本当に? とても信じられないな。うますぎますよ』
             (CAD初心者とは思えないラムの慣れに関心する広田)

 ヤランとジーラは、顔を真っ赤にしてヤモリのように壁に張り付いていた。
 ジーラはヤランのよだれをすする音で、はっと我に返った。

「こ、これは……(・_・;)」

「ねぇねぇ、ジーラ姉ェ。ラムさん、オトコくわえこんでるのかなぁ」

「あんたって子はっ! どこでそーいう下品な言い回しを覚えてくるのっ!(-"-)」

「だー、だってぇぇぇ(;_;)」

 再び、声が続いた。

『広田くん……まだ寝ちゃダメよ☆』
                           (そろそろおねむの広田)

 そして沈黙。

「……ヤラン。聞こえた? 今の」

「うん。広田って言ってたね」

 ジーラは、うむうむとうなづいた。

「うーん、オトコには興味なさそうな顔して、ラムもけっこうやるなぁ……」

 ジーラ、それは誤解だ(^^;)

 

 

 


act.1-11;難局一号


 翌朝。シータ・ラムと広田秋野はすでに話題の人であった。

「ナマステ!」

 結局徹夜になってしまった噂の二人は、遅い朝食をとった後、昨日と同じ服のまま
三宅総研のガレージを訪れた。

「あら、ジーラ。陣中見舞いにきてくれたの?」

「まぁね。ちょっと気になることがあってね」

「ふぅん。妹さんなら、向こうのセクションにいるはずだけど……」

「ううん。シータのことはいいのよ」

 ジーラ・ナサティーンは、単刀直入に訊ねた。

「ねぇラム、夕べ誰と一緒にいた?」

「え? あたしの部屋で広田くんと一緒にいたけど?」

 周囲の学生どもがどよどよとざわめく。
 ジーラは、学生どもを制して質問を続ける。

「……広田くん、優しくしてくれた?」

「うん、あたし初めてだったから……☆」

 再びどよどよとざわめく学生。どこからかすすり泣きさえ聞こえる。
 広田は照れたように頭をかきながら、ラムの言葉を引き継いた。

「いやぁ、最初はなかなかうまくいかなくてさぁ。でも、ラムさんも初めての割りに
はうまかったと思うし」

 どよどよどよどよどよどよどよどよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!

「そう……そうなのね。わかった。もう何も言わない。二人とも幸せになってね」

「へ……??(^^;)」

 ジーラは、チェシャ猫のような笑いだけを残してガレージから去っていった。
 ジーラのすべてを見透したような「ふっ」という含みのある薄笑いに心当たりのな
いラムと広田には、どうにも事態が把握できない。
 広田を羨望の眼差しでにらむもの、虚ろな瞳に涙を浮かべるもの、それを油に汚れ
たツナギで拭ってタヌキになるもの……。
 二人に対する周囲の反応は様々だったが、明らかに言えることがひとつあった。そ
れは、目に見えてはっきりとしたチーム全体の士気の低下であった。

 沈黙を切り裂いてヴィジホンのコール音が鳴った。
 モニタに聖武士が映る。

「はい……ああ、武士。どうしたの?」

『……俺、チーム・ルナのドライバー降りるわ』

「へ? ……な、なんで!?」

『理由なんかねぇよ。おめーはそっちで楽しんできな。じゃな』

「ちょっと、武士! 武士ってば!」

 ヴィジホンは一方的に切れた。
 ラムの顔からさーっと血の気が引いていく。チーム・ルナのドライバーに、ライデ
ィング・ナイト聖武士を欠くことはできない。賞金の五割を成功報酬に無理矢理説得
して引き受けさせた聖を失うことは、チーム・ルナにとって、明らかな戦力の喪失で
あった。
 メカニックの士気低下、そしてドライバーの後坂。
 好調な滑りだしを見せたチーム・ルナは、早くもアクシデントに見舞われていた。

「まさか、あいつまで妙な誤解してるんじゃ……広田くん。あたし、武士のところに
行ってくる。後のこと、頼むね!!」

 ラムは、そう言い残してガレージをとびだしていった。

 残された広田は、茫然とするばかりだった。

「……どーいうコトなんだ、これは?」

「聖も妬いてるんじゃないの? 自分の女だと思ってたラムさんを、チーム・ルナに
貸したばっかりに広田に寝取られちまったワケだし」

「な、なにぃ!!」

「広田ぁ、自分の胸に聞いてみろや。うまいこと言って俺たちに素材開発やらせとい
て、自分は徹夜で女体開発かぁ? けっ」

 嘲笑と嫉妬の混じったメカニックたちの下卑た笑いは、広田の正拳にたたきふせら
れた。広田は手近の端末にICメモリを差込み、壁面のプロジェクター・スクリーン
に昨夜一晩かかってラムとともに作り上げた『ルナHEV』の設計図を映し出してみ
せる。

「馬鹿野郎! 夕べは一晩中CADとにらめっこでい! 一晩でこれだけ作るのにど
のくらい時間がかかるか、お前らなら分かるだろう!?」

 広田とラムが徹夜で組み上げた設計図は、チーム・ルナのメカニックたちがばらば
らに開発している技術を結集したものであった。シャーシの強度からボルトの数に至
るまで、基礎データに基づいて出された最良の答えを集め、自動車の形に仕立て上げ
るためのシミュレーションの結果がスクリーンを埋め尽くしていく。
 次々に表示されていくシミュレーションの羅列を見つめていたアーマス・グレブリ
ーが呟いた。

「広田。YOUは、このシミュレーションを一晩でやったのか?」

「そうだよ」

「……冗談だろ? これとこれ……確か、昨日の夕方に見せたばかりのデータだよな。
もう取り込んだのか」

「チーム・ルナは確かに三宅総研の精鋭揃いだよ。でも、昔からHVやEVを専門に
やってきた大手や三宅教授に比べたら、ものすごいハンデがあるんだ。それなら、よ
り新しい技術を無理してでも取り込まなきゃ勝負にならないだろ!?
 遊んでいてここまでシミュレーションができると思ってるのか!!」

「……つまり、ラムとのことは誤解だといいたいわけだな」

「……お、おう。少なくともラムさんに手はつけてないぞ、オレは……というより、
つける暇もなかったというか、つけることを考えつかなかったというか……(^^;)」

 ラムとCADを操作しているとき、広田はラムのことを同じ技術屋の卵ということ
以上には、ぜーんぜん意識していなかったのである。こんなに責められるくらいなら、
ちょっとくらい手をつけときば良かったなー……と少し後悔しているあたり、広田も
けっこうかわいい奴である。

「わかった。こんなに演算やってたんじゃ確かにスケベする暇なんかないわな(^^;)」

 広田の白か黒かは、表示されているデータが物語っていた。機械の性能と操作する
人間の手間暇を熟知している技術屋ならではの解決であった。

 チーム・ルナは最初の難局を乗り切った。
 ……ように見えた。

                   ☆

「なぁ広田。ジーラの奴、ほっといたらあっちこっちに触れてまわるぞ。広田とラム
は肉体関係だとか言って」

「ひーっ。誤解だぁぁぁぁ!!(;_;)」

 

 

 


act.1-12;ドライバー降坂


 何が何だかさっぱりわからなかった。
 広田秋野と一緒にルナHEVの設計を煮詰め、幸せの絶頂を噛みしめていたと思っ
たのに、一夜明けてみたらチームの士気はどん底まで下がり、そして頼みの綱のドラ
イバーがチームを降りると言い出す。
 何がいけないのかさっぱりわからなかった。

「武士! いったいどうしてなのよ!」

 聖武士の隠れ家に乗り込んだシータ・ラムは、怒鳴りながら地下のガレージに踏み
込んだ。

「あのねぇ! まさか、あんたまであたしと広田くんのこと、妙な誤解してるんじゃ
な……」

 ガレージのドアを開けたラムの言葉が凍り付いた。
 トム(GT40のことである)は満身創痍だった。
 フロントガラスが粉々に吹き飛んでいる。何か別の車にぶつけられたのか、艶めか
しい曲線を描いていたはずのボディは醜く歪んでいる。ノーズは切れのいいフックを
喰らったボクサーの横っ面のようにねじまがっている。

「こ、これ……いったいどうしたの!?」

「……ちょっとドジった。おかげでこのザマだ」

 聖はスパナを握りしめたまま、肋を押えて肩で息をついた。
 昨日の仕事の途中に巻き込まれた事故で、愛車ともども手傷を負ったらしい。

「すぐに……すぐに手当てしないと……」

 この場合の手当とは、GT40の修理のことである。
 実は聖の肋二本にもひびが入っていたのだが、ラムがそんなことを知るよしもない。
 ラムは反射的に工具を握ってGT40にかけよろうとした。

「さわんなっ!」

 びくっ。
 聖の一喝に気押されて、ラムの動きが止まる。

「……こいつはなぁ、オレが組んだマシンなんだよ。だからオレが直す。おめーの出
る幕なんかねぇよ」

「で、でも……」

「だまれ。オレはこれからこいつを直す。いや……オレの手で癒してやらなきゃなら
ねぇ。だから……HVやEVのケンカに付き合ってる暇はなくなった。それがチーム
・ルナから降りた理由だ」

「……」

 もしラムが聖の立場だったらどうしただろう。GT40がただの車だったなら、レ
ースが終わるまで捨ておいて、レースが終わってからじっくり修理にとりかかったか
もしれない。
 だが、聖にとってGT40はただの車などではなかった。大事な商売道具であり、
掛替えのない相棒であり、聖の命そのものであるGT40が、ただの車などであるは
ずがなかった。
 命を預けて走る車だからこそ、走りに応えなければならない……そう考えているの
であろう聖の気持ちが突き刺さるほどわかる。切なくなるほどGT40を信頼してい
る聖の気持ちが、ラムもまた痛いほどにわかってしまうのだ。

「行けよ。おめぇがいなくたって、オレは困りゃしねぇ。オレはもともと一匹狼だし
よ……」

「武士……でも」

 ラムは迷っていた。
 傷つき、癒しを必要としているトムと、これから生まれ変わろうとしているルナの
どちらかひとつを選ぶことなど、ラムにはできない相談だった。聖とともにトムに息
吹を吹き返させたい。しかし、新しい身体を得ようとしているルナをもこの手で慈し
みたい。
 だが、GT40は聖がその思いのすべてを傾けて一人で組んだ車である。もしチー
ム・ルナがなかったとしても、聖はラムを拒んだだろう。否、GT40と聖の間には
ラムが入り込む余地など、元よりなかったのかもしれない。
 今は、GT40を癒すことは聖にしかできないであろうこともわかっている。しか
し……。
 聖はラムの迷いを断ち切った。

「帰れ! んなとこにつったってられてもメーワクなんだよ!!」

 ラムは言い様のない寂しさに襲われた。

 

 


act.1-13;IN SIDER


 麻田祐一はいわゆるフリーターである。あえて言うならGソフトというソフトハウ
スでのアルバイトが彼の本職ということになるが、暮らしていくのにも遊ぶのにも困
らないほどの仕送りがあるため、あまり金に執着がない。また、食べていく上での危
機感などがないため、仕事にもあまり執着がない。
 言うなればいいとこのボンボンであるらしい。シータ・ラムが聞いたら、地団太踏
んで悔しがるような、恵まれた環境といったところだろうか(^^;)
 麻田の本来の勤め先であるGソフトも社長一人の他は、社員は麻田のみという小規
模なものである。株式会社を名乗っているからには、きっとどこかに名義上の役員と
いうものがいるのかもしれないが、元来プログラムなど一人の卓越したプログラマが
いれば、後はどうにでもなってしまうものらしく、その社長一人で充分切盛りできて
しまう。そのため、麻田は一応はアルバイトとして雇われているものの、会社に出入
りしてもあまり仕事らしい仕事が回ってこないのである。
 食い詰めているわけではないから、別に仕事がなくても困りはしない。むしろアル
バイトは暇潰しに過ぎないのだ。だが、暇潰しであるからには、仕事がなさすぎるの
も考えものである。Gソフトでは麻田は暇過ぎて、時間潰しにさえならない。
 そこで、麻田祐一が目を付けたのは、EVメーカー・DGS電工である。田舎の資
産家である親にコネをつけさせ、DGS電工のEVをモニターするモニター・ドライ
バーの職を手にいれた。
 車体を試すテスト・ドライバーと違い、モニター・ドライバーは発表前の車に試乗
してみて、消費者の立場で意見を言う……という仕事である。定期的にあるわけでは
ないが、発表前の口止め料も込みになっているため報酬は悪くない。

 DGS電工からの帰り、麻田はあのヴィジホンの声の主を必死に思いだそうとして
いた。どこかで聞いたことがある声のように思えたのである。
 縁島にある公営住宅地・縁島団地の近くにあるマンション・アブシンベル縁島の2
階にある自室に戻る道すがら、三宅総研の前の路上に止まっていた電気製品量販店マ
ルイシ電気の営業車の運転席から麻田を呼び止める者がいた。

「やぁ、麻田ちゃん。元気そうだね」

 呼び止めた男は、麻田の前にボディビルダーのような巨大な体躯を運転席から覗か
せて、あのヴィジホンから聞こえてきた産業スパイと同じ声で言った。

                   ☆

 立ち上がった晴海谷の身長は、百八十センチ近い身長の麻田より更に十センチほど
高い。上背だけでなく、身体はボディビルダーのような分厚い筋肉の鎧に覆われ、胸
板も厚い。殴りかかろうという勇気をためらわせるだけの威圧感が、彼の身体からに
じみでている。
 晴海谷と麻田の付き合いは、晴海谷マルイシ電気の家電フロアの前にOAフロアを
担当していた頃くらいからのものになる。付き合いと言っても、店員と常連という店
頭での顔見知りの域を出ないが、人見知りしない晴海谷の性格のためか、麻田は大し
て警戒することもなく晴海谷と付き合ってきた。

「ええ、おかげさんで。晴さんこそ元気でした? もう家電フロアは辞めちゃったん
でしょ?」

「まぁね。今はご覧の通りの外回りだよ。最近は忙しいの? Gソフトの社長さんは
元気にしてる?」

「いやもう、オレはバイトですからね。社長が仕事くれないもんで、最近はDGS電
工の方に浮気しちゃってます」

「……へぇ。DGS電工で何やってるの?」

「新型EVのモニター・ドライバーをちょっと」

「モニター・ドライバー? あの、車の試し乗りをするって仕事やってるんだ。へぇ。
じゃ、今度、DGSの新車の情報とか詳しく教えてよ」

「えー、ダメっすよぉ(^^;)企業秘密なんすから」

「DGS電工かぁ……でもEVはなぁ。どうせ、じきにHVにかわっちゃうんじゃな
いの?」

「いえ、そんなことないですよ。少なくともオレが乗ったEVは、どれもガソリン車
以上の性能をマークしてるし、中でもDGSのEVは凄ぇもん。これなら当分はEV
が……おっと、これ内緒ね、晴さん」

「わかってるって(^^) EVっていやぁ……ねぇ、麻田ちゃん知ってる? 今度、E
VとHVのレースやるんだってね」

「あれ? さすが耳が早いっすねぇ、晴さん。どこで聞いたんです?」

「俺、いま三宅総研で営業回りしてたところなんだけどなー(^^;)」

「ああ、なるほど(^^;) 今回の仕掛け人は三宅教授らしいすからねぇ……」

「そういう麻田ちゃんこそ情報早いじゃない。なんで知ってるの? その手の業界か
研究やってる連中にしか話はいってないはずなんだけど……」

「そのレース、僕も出るんすよ。DGSのドライバーで」

「へ……ぇ」

 晴海谷は次第に言葉少なになってきた。
 DGSに情報を売り込もうとしたのが晴海谷であることは、すでに明白だった。
 麻田は少しだけ躊躇した後、胸につかえる疑問を吐き出した。

「……晴さん。いや、晴海谷さん。あんた、今日DGSに電話しませんでした?」

 短い沈黙の後、晴海谷は絞り出すような小声で言った。

「さあ」

「それなら、オレの思い違いだ。忘れて下さい。でも……あんまりヤバいことはしな
い方がいいっすよ。オレの口から言うのもなんだけど……大手と半端にコトを構える
と後が怖いし……」

「忠告ありがとう。まぁ当分、俺には縁のなさそうな話だけど、心にとどめさせても
らうよ」

 晴海谷は再び営業スマイルを取り戻して運転席に乗り込むと、会社の車を発進させ
た。

「……晴さん!」

 

 

 


act.1-14;幸せの青い鳥


 石岡浩之の新たなパトロンとなったのは、香港資本の青烏グループだった。
 青烏グループは、ここ最近になってチャイニーズ・レストランのフランチャイズで
急成長しつつある、香港系の資本による華僑財閥である。

 前世紀末、香港がイギリスから中国に返還されたおりに、それまで貯えてきた資産
を中国政府に没収されることを恐れた香港上流社会の人間たちは、香港返還に伴う動
乱がおちつくまでの間、イギリス、アメリカや日本などに分散してなりを潜めていた。
資産は集中して使うことにこそ意味があるという資本運用の大原則を知り尽くしてい
た彼らは、香港を離れている間に自分たちの資産が散逸してしまうことを恐れて、あ
る秘密結社を作った。
 この秘密結社は、当時香港から東南アジアにかけて勢力を伸ばしていた香港マフィ
アを吸収し、一大シンジケートに発展する。香港脱出組の資産を守る秘密結社は、い
つしか東南アジアに根を下ろす経済組織として脈動をはじめた。そして急速に膨張を
はじめた組織は、返還後の動乱が収拾した香港に表向きの本社を置いて、企業として
の顔を持つ一集団の形をとった。
 これが青烏グループである。

 佐々木建設に捨てられ、デァ・グルッペ・シュペーア(DGS)に裏切られた石岡
には、もう後などなない。すがれるものすべてにすがり、起死回生を図らねばならな
いのだ。
 石岡が如何なる魔法を使ったのかは定かではない。だが、彼は今回もまた新たなポ
ジションを得て、マウンドに立ち返ってきたのである。
 石岡は真新しいデスクの上に両足を放り出し、強い日差しを降り注ぐ窓の外を眺め
た。運河の先にDGS極東支部ビルが霞んで見える。

「流れ、流れて……って感じしますねぇ、課長」

「僕らは人材派遣屋の手駒だからね。企業間ジプシーは、運命みたいなもんよ」

 青烏グループにおける石岡の役職は、『青烏開発日本支社企画開発部企画三課課長』
というものだった。人材派遣屋の手駒などとうそぶいてみせてはいるものの、青烏へ
の派遣は石岡たちに派遣先を紹介している吉沢派遣のつてではない。現青烏グループ
極東総支配人である劉李芳から、直接石岡たちが指名されたのである。
 種を明かせば、劉大人は石岡の香港時代の『友人』であるらしい。一介の企業間ジ
プシーと、青烏グループの極東総支配人との間に、過去にどのような美しい友情があ
ったのかは計り知ることはできない。

「まぁ、劉大人には感謝するがね。後ろだてを持たない個人にできることなどたかが
知れてる。でも、こうして『企業』の後ろだてを得ることによって、また別の『企業』
を相手取った大がかりな企みごともできるってワケだ」

「課長……まだDGSを相手になさるおつもりですか」

「決ってるじゃないの、宇佐見くん。青烏にきたのはそのためなんだからね。佐々木
建設・DGSの一件は、僕の初めての黒星なんだ。やられっぱなしで引き下がるなん
て、僕の沽券に関わる問題だよ。
 どうせ、僕らは一度失敗している敗残者なんだ。このまま黙っていても落ちるとこ
ろまで落ちて行くのみだしね」

 そして、再戦の機会は思いの他早く訪れた。
 自動車業界を揺るがすイベントである三宅総研主催のキャノンボールである。一見
メーカー協賛の自動車ファンのためのお祭りのように見えるこのイベントに、EVメ
ーカーとしてDGS電工が出走することが明らかだった。
 兼ねてからヨーロッパ企業……アジアを基盤とする青烏にとって、いわば余所者で
あるDGSのアジア地方での躍進を快いものではなかった。一昨年DGSに対抗する
ため、急遽HV部門を設立していた青烏はその部門運用のため、佐々木建設・DGS
に敗退した石岡を採用し、彼に復讐のチャンスを与えたのである。

「そして、キャノンボールは絶好の機会だ。青烏にはそこそこの勝利と満足を、そし
てDGSには赤っ恥を与えてやるさ。
 こうなったら、もう失うものはなにもない。利用できるものも利用できる機会も、
僕らのために存分に利用させてもらおうじゃない」

「課長……我々の取り分はどうなります?」

「そうだな……キャノンボールをエサにトトカルチョでもやって、一儲けしてみよう
か?」

 石岡は、そういって笑った。

「DGSはやり方が強引すぎるんだ。あれじゃ恨みを買って当然だし、事実恨みを抱
いている人間も少なくはない。DGSへの復讐を叫ぶ協力者ならいくらでもいるさ」

「敵、多そうですもんねぇ……で、課長。勝算はおありなんでしょうね? ここ最近、
貧乏くじが続いているように思いますが」

「安心したまえ。次は僕らの勝ちだよ」

 宇佐見は軽く吐息を漏らし、ちらりと時計を見た。

「課長。李大人とお会いする時間です」

「そか。じゃ、いっちょブアーっと行きますか!」