江古田の糞知識
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69 ) cat
[2005/06/03(金) 23:17]

>>67

> 江古田1丁目のポイントから、江古田3丁目(北江古田公園)に向かう風景

おお、綿密な考証だ。おそらくそういうロケーションでしょう。
わたしは「川の向こうの森」がヒントかなと思ってました。←単純
旧・国立療養所中野病院(現・北江古田公園付近)は森だったという記述をよく見ますので。
ただ、絵の距離感から、東福寺+寒川社あたりもクサイかなと。

なお、作者は、この近辺には親しんでいたようです。
若い頃から、下落合にいた中村彝(「エロシェンコ像」で有名)の弟子でしたし、少なくとも晩年は江原町2丁目にお住まいでした。
http://www1.ocn.ne.jp/~rakutei/otiai02.html
http://www.angnet.com/gaka/kantei/kan1.htm


>>68

ちょっと補足・訂正を。

> 江原町(江古田が原)+豊玉の一部(江古田新田)

前者ですが、「江古田ヶ原」という固有の地名があったわけではないはずです。
小名/小字としての「××原」というのがいくつかあって、そこら辺をまとめ称してのものだったと思います。
なお、「沼袋・江古田ヶ原の戦い」というのも、実際にはどこら辺とは確定されていません。(江古田公園に碑がありますけど。)

後者ですが、「江古田新田」は現在の「旭丘」です。周辺の町と多少かぶっている部分があるかもしれませんが、新田=旭丘と考えていただいてけっこうです。

> もしかしてこの木が江古田の地名を決めた「えごの木」を象徴するもの

ウ〜ン、どうでしょう? ← ちょっと長嶋はいってる。
たしかに似ていますね。
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/q-rika/q-jya4/q-jatz/IPA-rik0320.htm

ただ、「えごた-エゴノキ」説は、この絵が描かれた時点では一般的なものではありません。
というより、今日にいたるまで、公式には「江古田の語源はわからない」「えごた-エゴノキ説は、いくつかある仮説のひとつ」という扱いになっています。

ですから、純粋にあの木のかたちのおもしろさに惹かれて描いたと解する方がよいと思われます。

っていうか、鈴木良三画伯に縁のある方、ここを読んでませんかね。

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管理者:AZUKI
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